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怒りを甘い優しさで隠すこと

ある人にひどい対応をされたとき、その様子を見ていた人から、「あの人は〜だから、周りも大目に見ているんですよ。かわいそうな方なんです、だから仕方ないんですよ」と言われた。

「〜」の部分は伏せておく。その人の生育歴だとか、そういった「どうしようもないこと」が入ると思ってください。

わからなくはない。自分なりのコミュニケーションの作法は、生きてきた蓄積から作られるから。わたしが考える常識が、相手にとっては当たり前ではないことだって珍しくもないことだ。

人間関係の構築方法も、人によって千差万別だ。正解はない。ぶち当たって、失敗して、そうして身につけていくのだと思う。

ただ、このとき、わたしはその人の意見に素直に頷けなかった。そして、ひどい対応をしてきたその人が、少し気の毒にも思えた。

周りが大目に見てきたことが本当ならば、その人はぶち当たって失敗することで関係構築について学ぶ機会を奪われてきたともいえる。その結果、より悪癖に磨きをかけてしまった可能性だってある。腫れもの扱いは、対等な関係では起こり得ないと思う。「仕方ないから」が少し上から見ているようで、なんだか気持ち悪かった。

わたしの不快感はわたしのものだ。相手のバックボーンがどうであれ、無理やり「仕方ないから」と飲み込まなくてはならない謂れはない。相手にそれをぶつけるかどうか、またぶつけ方には工夫や配慮がいるけれど、腹立たしさや傷ついた感情まで押し殺す必要はないと思った。

逆差別、という言葉があるけれど、この件は似たようなものだったのだと思う。差別をしないように心を配り過ぎてしまった結果起こる、配慮しすぎの逆差別。怒りを覚えることは、決して差別ではないんだよなあ。それが対等な人間関係だと思う。

無理やり許すことだけが是ではない。たとえ相手にぶつけなくても、苛立ちを覚えた自分は別で認めておく。その方が、精神衛生上もよいだろう。

「仕方ないんだよ」という甘い言葉で怒りを隠すことは、わたしにはできなかった。それは、その相手を殊更かわいそうだとか特別だとか思っていなかったからこそなのだ。

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