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サンタクロースがくれたもの

クリスマスイブが終わり、クリスマスが終わった。今年もいよいよ年末だ。そんな実感は1ミリもなく、帰省の準備もまだ何もしていないのだけれど。

サンタクロースについて、「○歳まで信じていた」「信じていなかった」「そもそもはじめからサンタは来なかった」など、いろんな人の話が飛び交っていた。なかには、「サンタシステムの意味は?」みたいなものも。

わたしのなかでは、今でもサンタクロースは「いる」ことになっている。もちろん直接的にプレゼントを手配して渡しているのは赤い服でも白いひげでもない、しかも我が家の場合は女(=わたし)なのだけれど、そういう意味ではなく。


サンタクロースを信じる経験は、目に見えるものを信じられる力につながるのだと思っている。愛情や友情みたいに、この世界には目には見えないけれど確かにそこにあるものや、大切なものがたくさんある。そうしたものをただまっすぐ信じられる礎になるのではないかな、と思うのだ。

もちろんサンタシステムがなくたって、信じることはできるだろう。けれども、決して会ったことのない白ひげのおじいさんを信じた経験は、どこかで見えるものを信じる支えになると思っている。

この考えは独自のものではなくて、何かで似た言葉を見たのがきっかけだったような気がする。もう忘れてしまったけれど。


空想だって、絵空事だって、信じられれば本人にとっては本物だ。楽しいことや嬉しいこと、幸せなことを信じられることは、生きていくうえで役立つことではないかと思う。

子どもの頃、わたしと妹は鈴の音を聴いた。常識的に考えれば、それは思い込みすぎた結果の幻聴だったのだろうけれど、二段ベッドの上下で「聴こえたよね!?」と盛り上がったワクワク感は本物だった。

息子たちは目を輝かせて朝飛び起きてきた。この「わあ!」は本物の感情だし、これこそがサンタさんがくれているものなのではないかなあ、と思う。いつに何をもらったのか忘れてしまう日がきても、この「わあ!」は心のどこかに残っていくものだと思うのだ。

感情も目には見えないけれど、感じたものはまぎれもない本物だ。自分の感覚を信じられることは、きっと生きていく力になるだろう。

できるだけ長く、一心に信じる時間があればいい。疑うことなんて、嫌でも覚える日がくるのだから。そんな風に思っている。

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