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六年前、産科病棟の廊下にて

六年前の今日から一週間の間ほど、社会から離れたところにいたことはない。正確には、次男を産んだ四年前の十二月もだけれど。

昨日書いたnoteでも触れたけれど、今日は長男の誕生日だ。幼稚園年長、ようやく六歳を迎える。

今これを書いている時間帯、わたしは最後の一センチがまったく開かない子宮口を抱えて、陣痛に悶絶していた。陣痛は何分かおきに訪れるはずなのに、常に痛い気がしていて、意識も朦朧としていた。夢から目覚める直前のような感じといえばわかるだろうか。真夜中から始まったために一晩眠ることもできず、食べたり飲んだりしても吐き戻してしまったため、あとから聞いた話では、わたしの体力は割と危なかったらしい。


結局、促進剤も使ったにも関わらず、長男が産まれたのは午後3時過ぎ。母子手帳に書かれた時間は17時間だった。三月の大阪なのに雪が降っていたことを、夫と母の会話を聞いて憶えている。


出産翌日から母子同室だった。数人のママと同じ部屋で、長男との生活が始まる。決まった時間に運ばれてくる食事を、寝ている長男を横目に食べ、授乳時間になっても寝続けるタイプだった彼を、あえて起こして授乳した。(助産師さんに助けてもらっても起きなくて苦労した)

ガラケーは持っていたけれど、産後の目の酷使はよくないからとほとんど使わなかった。そもそも、ガラケーではネットにほとんど繋がなかったから、使ったとしてもメールか電話くらい。ほかのママも同様で、「今、大きなニュースが起こっても、わたしたちわからへんね」と話していた。

朝が来て、昼が来て、夕方が来て、夜が来た。

時計はあったけれど、空の色の変化で時間を感じて過ごす日々だった。

慣れない授乳は大変だったし、布おむつの病院だったからおむつ替えも頻繁だった。夜の授乳後になかなか寝入らない長男を抱き、赤ちゃんが昼夜逆転現象を起こしていた同室のママと一緒に、病棟の廊下をうろうろ歩き回った。

迷惑にならない程度の声でぽつぽつと話しながら、ぺたぺたと歩いた廊下の空気は、どこか非日常だった。どこかの部屋から聞こえてくる泣き声や、陣痛室から聞こえてくる呻き声。「あー、がんばってるなあ」「今日は出産多いみたいやなあ」そう話しながら、長くはない廊下を行ったり来たり。

「あ、寝たわ」
「お、やった。寝てるうちに寝て寝て」

緩やかな会話が、わたしを支えてくれた。今でも、彼女たちとは連絡を取り合っている。


長男のリズムに合わせて生活できた、あの短い入院生活は、こうした出会いのおかげもあって、今でも心の奥で小さな灯りを灯している。

社会の流れや情報から隔離された産科病棟は、夢の中の場所だったのではないかとすら思える。

退院の日、降りてきた外来病棟には多くの人がいて、そこに溢れるエネルギーやスピードにくらくらした。産科病棟が薄暗かったわけではないのに、一気にあたりが眩しくなったように感じた。「戻ってきたな」と思ったことを憶えている。


日常は、時に暴力的だ。

エネルギーとスピードに飲み込まれ、流されすぎたり溺れたりしないように、ただ必死に毎日を過ごしてきて、六年後の今日がある。

もう二度と、あんなに平和な時間は訪れないのかもしれない。そんなことを思いながら日常と対峙し続けて、わたしは母親になり七年目を迎える。



#エッセイ #コラム #子育て #わたしのこと #思っていること

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