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早くなりすぎたコマは、いつか吹き飛ぶ

時間の流れが、どんどん早くなっていく。二十歳のころ、当時のアルバイト先のパートさんに「これからは坂道を転がり落ちるように早いよ」と言われたのだけれど、本当に毎年月日が過ぎ去るのが早くて、紐を引っ張られたコマのような気持ちになる。

この体感時間の早さは、もう二度と元に戻らないのだろうか。そう母に尋ねてみたことがある。

母は、「母さんはあんたを産んだあと、動き始めるまでの一年はゆっくりだった気がする」と答えた。そのときに、すでにわたしは二児の母だったから、「え、じゃあ、もうわたしは早まる一方じゃん」と返し、これ以上早くなるとわたしはおかしくなるんじゃないかと思った。


それから、おそらく二年程度が経過していて、やっぱり時間の流れはさらに早まった。

話題になったニュースが平気で三年前だったりすることはザラだし、ヒット曲などはもっとだ。マンガの連載開始時期も、平気で「祝5周年」「祝10周年」などと銘打たれていて、ぎょっとすることがある。


これは、でも、わたし個人のなかだけの感覚なのだよな。そんな当たり前のことを、子どもたちを見ていると思うときがある。

小学生、中学に入るころまで、わたしの周りに流れている時間は穏やかで、ゆっくりだった。二学期なんて、とんでもなく長かった。だからこそ、夏休みの終わりが切なかったのだ。一週間は絶望的に長くて、だからこそ、生きていられなくなる10代がいるのだろうとも思う。

過ぎ去った大人が、同じ時間軸で10代のつらさを語ってはいけないのだ。


今、わたしの子どもたちは幼稚園児だ。きっと、彼らが感じている時間は、とてつもなく長いのだろうなあ、と思う。

それでも、親のわたしの感じる時間は、めまいがするほど早い。

異なる感覚を持ち合わせている人間が、同じ“24時間”を生きていることが、突然、感覚的に理解できなくなることがある。そうして、ふわっと底が抜けて不安定になる。


わたしの時間は、死ぬまで加速度的に早まる一方なのかなあ。

今でさえ、実際の流れと自分の流れがズレていて大変なのに、これ以上早くなってしまったら、わたしはへばってしまうのではないかなあ。

先輩方、いかがですか?




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