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スイッチの切り替え

仕事を終えきれずに子どもの迎えのタイムリミットを迎える。雑踏の合間を縫うように小走りに駆け、帰宅ラッシュの電車に飛び込んだ。

あと少し。あと少し時間があれば終わったのに。

そう、思っても仕方がないことを心の中でつぶやく。埼京線の車内は満員御礼で、手すりも吊り革も持てない。両足の裏に力を込め、バランスを取りながら揺られていた。


強制的に仕事モードから母親モードに切り替えバタバタと過ごすわたしのことを、夫は知らない。わたしのことを、というよりも、ポチパチとスイッチを入れ替える感覚を、夫は味わったことがない。

子どもによって何かを中断させられると、夫はあからさまに不機嫌になる。気持ちはわかる。けれども、夫が中断させられる機会なんて、そうそうないのになあ、とも思う。

例外はあるけれど、多くの場合、母親の方が中断を余儀なくされる。やれオムツだ、抱っこだ、おっぱいだ、ミルクだと泣く赤子を相手にして、ごはんもお風呂もトイレすらもままならない経験をした女性は多いはずだ。

やりたいことどころか、やらねばならないことすら中断続きの日常は、思っている以上にストレスになる。母親の「ひとりの時間がほしい」の多くは、「中断されない時間がほしい」なのだ。


乳児期を終えた今、わたしの時間の多くは自由になった。ただ、中断されないかと問われれば答えはNO。子どもがいるときにはしょっちゅうケンカの仲裁に呼ばれるし、いないときでも迎えのデッドラインはしっかりと引かれている。これは、迎えに関しては夫と分担不可能な家庭だからだけれど。(夫の帰宅は0時前後だ)


別にそのことに不満があるだとか、夫が羨ましいだとかいうわけではない。ただ、「パタパタ忙しなく色を変える感覚は、夫には共感されないのだろうなあ」と思っただけだ。

決して楽ではないけれど、何だか尊い感覚に思えるのは、冬が近づいてきているからだろうか。気温が下がり、センチメンタルになりやすくなる10月も、気づけば下旬。疲れた顔の乗客たちを眺めながら、モードが切り替わるのをぼんやりと感じている。

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