見出し画像

そんな社交辞令なんか、いらない

社交辞令、というものが、わたしにはイマイチわからない。

もちろん、意味はわかる。これまで、自分自身で使ったことがないわけではないとも思う。正社員で社会人をした経験こそないけれど、アルバイト先で社員の人や会社の上の人に対して、意識してはいなくとも使っていたことはあるのだろうと思うから。

わからないのは、そうではない相手への社交辞令だ。

女子社会で見られることがある、調子合わせの「かわいい〜」だとかも、社交辞令の類かな。……これは違うか。単なるお世辞?


別に本音では思っていないのに、とりあえず口先だけでは「会いたい」と言ってみておく、とか。きっとあるのだろうなあ、なんて思う。


わたしは人と会うのが好きだけれど、「会いたい」と発するとき、それは本当に会いたいから言っているので、会えるように全力を尽くそうとしている、と思う。自分では。

予定だって合わせられる限り合わせるし、むしろそのためにいろんなものを調整する。会うために仕事を前倒しして追い込むこともある。(限度はあるけれど)

こちらのこうした働きかけに応じてくれる人は、少しでも本音で会いたいと思ってくれているのかなあ、なんて思う。


ただ、なかには、「会いたいね〜」「会いましょう」だけを連発する人がいる。

これは、結局のところ社交辞令なのかなあ、なんて最近は思っている。

「会えたら会おうね」なんていう「会おう」が実現することなんて、きっとほとんどない。みんな、それほど暇ではないと思うから。

本当に会いたいのなら、会うために予定を立てようとするよね、と思う。

これが、わたしも会いたい人であるときは、ちょっと切ないものがある。「会おうね」「連絡するね」とだけ言って、そのままにされてしまうのは、もやもやが残ってしまう。

わたしは、本心で言われたと受け止めてしまうから。そして、「また連絡するね」と言われたら、再三こちらから言うのはせっつくようで悪いから、と待ってしまうから。


宙ぶらりんになってしまった約束は、きっと相手にとっては約束ではなかったのだろうなあ。

それくらいの程度の関係性であったのか、そもそも会いたいという言葉が社交辞令だったのかはわからないけれど。


こう見えても(どう見えているのかわからないけれど笑)、たまにひどく怖くなることがあるので、実は最近は安易に「会いたい」を言えなくなっている、ような気がしている。

悲しくなるくらいなら、距離を詰めるのはやめておこう、だなんて馬鹿みたいだけれど、はじめから近づいていかなければ傷つくことはないのだよなあ。


社交辞令を使う必要がないわたしのような相手に、社交辞令なんか使わないでね。

何も円滑になんかならないし、使われたところであなたにメリットを与えられる人間ですらないのだから。



#エッセイ #コラム #ブログ #日記 #わたしのこと

お読みいただきありがとうございます。サポートいただけました暁には、金銭に直結しない創作・書きたいことを書き続ける励みにさせていただきます。