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“生きる力”を考える

“生きる力”という言葉に触れた。

子どもを育てるに当たって身につけさせたいもののひとつ。そして、わたしたち働く母の中にあるもの、というニュアンスで。

衣食住を回していくという意味での“生きる力”であれば、確かに持っていると思う。ずぼらなりに日々を生きていけるくらいには、だけれど。

そうして、そうした“生きる力”は、息子たちにも育んでいてほしいと願う。家事も育児も当然のようにやれる男性になってほしい。何なら、そこも含めて働き方を考えるのが当たり前になってほしい。これは社会もだけれど、社会がそこまで変わらなくても、本人の選択は意思次第で変えられるものだから。


……という“生きる力”ではない“生きる力”を考えていた。

わたしはお世辞にも強いとはいえない。メンタルを患って大学を辞めて、雇ってもらえそうだった職場では研修期間のイジメで根をあげてしまった。結果、正社員として働くことなく、結婚出産、今に至る。

ただ、振り返ってみると、いつも「現状で何がやれる?」ということだけは、考えて動いてきたのだなと思う。「何にもない。だから何にもできない」と全部を放り出さず、「今手持ちのカードでできるものは何だ?」と考えてきた。家計が苦しくなって、働かざるを得なくなったというのもあるけれど。

些細なカードしか持ってはいないけれど、それでもこうして働けている。衣食住+食い扶持を稼ぐことも、生きていくには必要だ。

けれども、目には見えない「何をやろう?」と考えることや、「これがやりたい」という欲求や、「やってみよう」とトライしてみる行動力も、“生きる力”なのだろう。

バイタリティ溢れた人間ではないし、カードにも恵まれてはいないけれど、「じゃあ、どうする」と考えられるのは、実はとても大切な“生きる力”なのかもしれない。


#エッセイ #コラム #生き方 #わたしのこと

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