失敗は成功の素というけれど

失敗すること、ミスをすることが、わたしは怖い。

誰しもある程度の怖さはあると思うけれど、たぶん、わたしのそれは度を超えているのかもしれないな、と思うことがある。


これは今に始まったことではない。わたしは、かなり幼いころから失敗が怖かった。

「やってしまった」と気づいたときの体の冷えかたは尋常ではないし、食欲もなくなるし、呼吸も浅くなってしまう。


そうしたこともあって、わたしははじめての職場や仕事をはじめるときの精神的負荷が重いのだろうな。当たり前だけれど、はじめは何事も失敗する機会が多いから。血反吐を吐く思いで過ごし、出勤する日が、いつも長めに続く。

はじめてのバイト先では、本当に些細なミスでも反省と自責をしすぎるくらいしていたらしく、「そこまで思いつめることじゃない」とフォローまでしてもらったっけ……。


たぶん、ただ失敗が怖いだけではないのだろうな。

子どもの頃、失敗といえるほどのものではない「うまくいかなかったらしい」という程度のときに、怒鳴り散らされ続けた経験がある。もしかしたら、それも原因のひとつかもしれない。

そして、失敗することによって誰かに迷惑をかけてしまうこと、失望されてしまうことへの恐怖感が特に強いのだろうな、と思っている。「失敗したわたし」と「わたし個人」が一緒くたにして考えてしまうクセがある、というか。ひとつの失敗で、人間関係にまで影響が及ぶと考えてしまうというか。(書いていて情けなさに雲隠れしたくなってきました……)

仕事での関係と人間関係とを、ドライに区切れないタイプだからかもしれないなあ。


これは何かきっかけや理由があるのか、今のところわかってはいない。四月生まれの女子ということもあって、幼い頃はほかの子と比べて割と器用に物事をこなせたから、周りの大人に褒められることが多かった。逆に、できなかったときに叱られることが多かったのかなあ? このあたりは定かではない。


うまくやれているように見える人だって、子どもの頃でいえば親だって、みんな失敗を重ねてきて今があるはずだということは、頭ではわかっている。

でも、成功体験に比べて失敗体験はあまり見聞きすることがなかったからか、「失敗した人を実体として感じる」ということがあまりない。

「うわー、やっちゃったー」と笑っていえる程度であればいいのだけれど、「その先」に誰かがいるような失敗が、心底怖いのだ。


この恐怖感を克服できていない理由を、わたしは自分に正社員経験がないからだと思ってきた。失敗をして叱られる経験をし続けられていたら、ちょっとはましになったんじゃないかと思って。

でも、根本の性質は簡単には変わらなかったかもしれないな、と思う。変えるなら、もっと幼いうちから徹底的に転んでおかなければならなかったのかもしれない。


……とはいえ、そんなことを今更いってみたところで、どうにもならない。今のわたしをこれからどうするかしか、手段はないのだ。

正直、どうすれば緩和されるのか、自分では未だにわかっていない。どうしたって、恐怖感は恐怖感として身体中にへばりついているから。それはもう、べっとりと。

あまりにも恐怖感に苛まれていると、「やってしまった」あとのリカバーにも影響が出てしまうと思う。気持ちの切り替えがうまくいかないと、精神バランスを崩しやすいから。

すぐに開き直れるようにまでなりたいとまではいわないから、もう少し、この恐怖感を健全レベルにまで減らせやしないかなあ、と思っている。


ちなみに、余談だけれど、長男は典型的な「失敗を怖がるビビり」タイプだ。「遺伝……」と申し訳なく思うのと同時に、今の間に盛大に転んでおきなよ、と思いながら、日々軽く背中を押し続けている。



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卯岡若菜

宛先のない手紙

真っ白な手紙を誰に届けよう ありったけの想い込めて 言葉綴った、 「宛先のない手紙」 短文、詩、つぶやきのようなもの。 気が向いたときにさくっとお読み頂ければ、うれしいです。
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