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【怪談手帖】咎紡ぎ【禍話】

「…親父が生きとった頃に聞かされた話なんだけども」

Aさんは細かく千切った干物を、総入れ歯でゆっくりと噛み締めながら語り出した。
彼のお父さんは貧窮した集落で、戦後の時代を過ごした苦労人であるが、あまり自分の故郷の事は話さない人だった。
そんな人が老境に入ってから、息子であるAさんに唯一話してくれた故郷でのエピソードがこの話なのだという。

「多分…、ずっと忘れようとしても出来なくて…歳食って腹ん中しまったまま死んでくのが嫌になったんじゃねえかな…。歳を取るっていうのはそんなもんだよ」

それまでほとんど語られなかった父の故郷の風景。
その話の前置きとしてぽつぽつと語られる日常の断片からも、集落が相当に疲弊していた事が窺えたそうだ。

そんな集落の端。他の建物から少し離れた所に森を背にして一軒の家があり、そこには母と娘が二人で暮らしていた。
金物仕事か何かをしていたという父親はとっくの昔に蒸発しており、親娘で働きに出たり、家の裏に小さな畑を作ったりして凌いでいたらしい。

しかし残されたこの二人の親娘。
この仲は価値観の違いから非常に悪く、しょっちゅう口論する声が近隣まで聞こえてくるような有様で、結局娘の方が集落を出て行ってしまった。
普段なら誰かが仲裁に入るなり、事情を問いただしたりしたかもしれないが、皆余裕は無く、自分の事で精一杯だった。
そのようにお父さんは語っていたという。

ここまでならば混乱期である当時にはさして珍しくない話だったかもしれないが、母親の一人暮らしになってから妙な事になった。
娘がいなくなったショックからか、年齢以上に老け込んでしまった母親は全く働かず家に篭るようになった。
季節は冬。畑の手入れもやめてしまい、見る間に荒れ果てていった。

「まあ…、食えねえわなぁ、そんなんじゃ。何しろ外に出ねえんだもん」

だから周りの住民は、今に食べ物を乞いに来るんだろうと警戒していたが、何故か一向にそういう事はなく皆不思議がった。
あまりに不可解なのでとうとう当時のお父さんを含む何人かの隣人達が覗きに行ったそうだ。
すると、老女は土間から上がった座敷の真ん中に万年床を敷いて、じっとその中に入っていた。そして布団から身を起こした格好で、隣に糸車を出して、ずっと回していたという。
明治の頃ならいざ知らず、当時既に手回しの糸車は前時代的な物であった。
ただ戦後の一時期には全国的な糸の不足を補う為に、家で道具を使って糸を紡ぐ女性もいたようだ。
その家でも元々そんな事情で糸車を置いていたのだろう。

けれど、その時の彼女は糸車に紡ぐべき糸の素を何も掛けていなかった。
お父さん達が困惑する前で、手付きだけを糸紡ぎの形にして回す動作を繰り返していたのである。

キュルキュルキュルキュル…   カロカロカロカロ…

勢いだけはついた軽い糸車の回転音が響いている。

さては気でもおかしくなったかと、尋ねた仲間の一人が話しかけたが、受け答え自体はしっかりしていた。
ただ空っぽの糸車を延々と回す理由については何も答えず、その代わりに、
「蜘蛛が出る、蜘蛛が出る。大きな蜘蛛が出る」とよく分からない事を呟き、何のことだ、蜘蛛はどこにいるんだと言っても口を噤むばかりだった。
ずっとその調子でしつこく問いただしても、終いには出て行ってくれと返すばかりなので、結局お父さん達も匙を投げてしまった。

それからその家の近くを通りかかると、日がな一日微かな糸車の音ばかりが響いていた。
たまに通りがかりが覗いてみると、老女はいつも万年床の上でずっとぎこちなく糸車を回していた。

「あんまり変わらねえもんだから、口の悪い誰かが、『まるで映画みてえだな』って、冗談まで飛ばしたそうでよ」

Aさんは自分でもその光景を思い浮かべるように目を細めた。
なんにせよ奇妙な状況である。畑は完全に使い物にならなくなっているし、その家に誰か訪ねてくるでもない。
どうやって飲み食いしているのかも含め、明らかに不可解な事だらけだったのだが、結局周りの住人は何も詮索しなかった。
こちらの迷惑にならないならいい。寧ろ物を乞うてこないなら有難い。
結局のところ奇怪な状況を気にしたり、世話を焼いたりする余裕すらなかったという事に尽きたようだ。

しかしそれからほどなくして、そうとばかりも言っていられなくなった。
その家から悪臭がすると騒ぎになったのである。全くそのような兆候がなかった事実が彼らを混乱させた。
結局Aさんのお父さんを含む数人が意を決してその家へと向かったのだったが。

家の前まで来ると、相も変わらずに中からは、微かに糸車の音だけが響いている。
恐る恐る窓から覗くと、灯りも点けない薄暗い中で老女は全く同じように、万年床に身を起こして同じ動作を繰り返していた。
想定していた事態ではなかった事に彼らは一先ずほっとするも、一体この臭いはなんだと家の中に踏み込んだ。

「まあ…、その…そこまで来るとな…親父の話はいっつも要領得んことなってな…」

Aさんはくしゃりと口元を歪めながらそう言った。
なんでも、歯を鳴らしながら震え始め、思い返すこと自体が苦痛だというように時には脂汗を流し呂律が回らなくなり、しどろもどろになりながら辛うじて言葉を続けるような有様だったという。
その所為で細部がはっきりしなかったり、特定の箇所については喉を絞められたように言葉が途切れたりした。

けれども幾度か語られた内容をAさんの方で整理し、総合すると、概ねこのような事が起きたらしい。

一行が土間から薄暗い座敷に上がると、手や顔に何かが引っ掛かってぷつ、ぷつと切れ、見ると人の髪の毛であった。
そこら中にピンと張った白や黒の髪の毛が巡らされていたのだ。訳がわからず仲間の一人がそこで悲鳴をあげた。

お父さんが怒号に近い呼びかけをしながら近付いても、老女の影は何も応えず糸車を回し続けている。
近付いてみるとわかった。
布団に隠れたその下半身が不自然に大きな瘤のように膨れている。
ぷつぷつぷつと髪の毛が引っ掛かるのを払い除けながら、お父さんは糸車を蹴飛ばして肩に手をかけた。

「その…親父が言うには…、その…、『抜けた』って…絞り出すように言うんだ…。そうな…、外れたとか、飛び出たとか言うこともあったけど、同じような意味だわな…」

語りの中でもその辺りが特に難航し、お父さんの話も行きつ戻りつ非常に不可解だったと言うのだが。

要するに、老女の上半身だけが布団からずるっと取れて逃げだしたのだと言う。

「まあ…そりゃあ…、到底正気の沙汰とは思えんよな…。俺も、俺も聞いた時はそう思ったが…」

パニックになったお父さん達の側で、上半身だけの老女は腕だけを使って異様な速さで這って出て土間から出て行った。
それはその時、何かぐじゃぐじゃと喋っていた。
日によってお父さんはそう漏らす事もあったが、何を喋っていたかについては頑なに言おうとしなかったらしい。
その場にいた半数がそのまま叫びながら外に飛び出したが、お父さんともう一人だけは腰を抜かして呆けていたところからなんとか起き上がって、そこらを見聞する事にした。

寝床の周りには腐った漬物の瓶や、僅かな紙幣が突っ込まれた壷などが散乱した土くずと共に並んでいた。
そして万年床はあの不自然な瘤のような膨らみを残したままだった。
吐き気のするような悪臭の中、念仏を唱えながら恐る恐るそれを捲ると。

そこには体を丸めた格好のままの老女の死体が収まっていた。

僕は思わず戸惑いの声を上げてしまった。

「そうなんだよ…。その…、寝床の中にあった、そいつは…、きちんと上半身も、揃ってたってよ…」

ますます騒ぎが大きくなる中、万年床の敷かれていた畳の周りが不自然にも汚れている事にも彼らは気が付いた。
戻ってきた者も手伝って畳を剥がすと、その下はどうやら元々甕や瓶を入れていた収納スペースだったらしい。

そこにもう一つ、この家の娘と思われるかなり時間の経った死体が押し込まれていた。
娘の死体の方は無理に押し込んだ所為だろうか、腰から下、特に両足の劣化が激しくほとんど腐り落ちて外れてしまっていたという。

老女は餓死だったようだが、娘の頭には外傷らしき痕があったとかで、どうやら娘は家を出たのではなく、母親によって殺されていたのではないかと疑われた。
ただ不可解な事にどう考えても、悪臭のし始めたタイミングと死者が腐り出したであろう時期が合わない。
そもそも母親が餓死してからかなりの日数が経っていたようだが、住人達はつい先日まで日がな同じ格好で糸車を回し続ける老女の姿を見ている。

更には老女の死体と娘の死体はどちらも頭髪の大半が引き抜かれており、それが部屋のあちこちに張っていた髪の毛の正体だったらしく、お父さんに蹴り飛ばされて半壊した糸車の紡錘つむの部分には、乾いた血や皮のくっついたままの大量の髪の毛が巻き付いていたという。

結局正気を疑われるような箇所については伏せて、家のごたごたで生じた親娘の不審死という形で警察に届けられた。
その後の顛末についてはお父さんは詳しくは語らなかったらしい。

糸車を回していた老女の上半身。
お父さんが『抜けた』と表現した何かについては集落の中でもタブーとなったが、お父さんはこの話をする時にいつも嫌な顔で、
「蜘蛛が出る、蜘蛛が出る。大きな蜘蛛が出る」と最初の老女の言葉を反芻していたそうだ。
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この話を書きまとめる前、一度友人のHくんにこの内容を話して聞かせた事がある。
聞き終わった彼はいつもより暗い顔で徐ろにこう言った。

「見つかった娘さんは両足が腐り落ちていたんでしたね」

僕が頷くと、それで勘定があってしまうわけだと眉を顰めて呟いているので、どういう事か問いただしてみた。

「わかりませんか。 合わせて八本って事ですよ」

そう答えて彼は何度も何度も首を横に振った。


出典

この記事は、猟奇ユニットFEAR飯による青空怪談ツイキャス『禍話』内の (シン・禍話 第五十一夜 長尺怪談スペシャル) 余寒の怪談手帖『咎紡ぎとがつむぎ』(30:06~)を再構成し、文章化したものです。

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(この記事のお話は、「禍話叢書・弐 余寒の怪談帖 二」に収録されています)

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