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【怪談手帖】桂男【禍話】

僕が不気味に感じるものの一つに、顔のある太陽や月の図というのがある。
古い西洋絵画に描かれているものや、古典映画、月世界旅行の有名な月の顔、アルゼンチンやウルグアイの国旗に見られる太陽神の意匠など。
それらはいずれも天空や宇宙、旗の真っ白な空間などの上に奇妙な表情を浮かべている。
その有様。何か人のことわりとは無関係の超越的な場所に目、鼻、口の人の顔を持ったものがただ存在している。
そんなイメージについて考えた時、僕は言い知れない掻痒感と恐怖を覚えるのである。

これは神隠しや失踪にまつわる話を集めている中で、時を隔てて蒐集され、上記に述べたような僕の恐怖を掻き立てた話である。

原作者・余寒氏による序文

Bさんから聞いた、鳶職をされていたというお祖父さんの体験。
ある時お祖父さんは家の縁側に座り、近所の大きな屋敷の庭にある見事な一本松と、そこにぽつりとかかった月とを眺めながら酒を呑んでいた。

するとだんだん月の海の模様 —お祖父さんは痘痕あばたと言っていたそうだ— それが人間の顔に見えてきたのだという。
とはいえ、月の海に顔や特定の図形を見出す習慣は世界共通のものである。
それに彼は、意味のない模様に顔や図形を見出してしまう『シミュラクラ現象』という用語は知らなかったが、頭ではちゃんと理解していた。
ほろ酔い加減でもあり、楽しい幻影だと喜んでいた。

ところがである。
それから月のある夜に縁側で晩酌をすると、意識しなくても月に必ず顔が見えるようになった。
しかも最初は陰影の作る顔らしい集合でしかなかったのが、日毎に精細なはっきりした男の表情になっていく。
だんだん口元をぺちゃぺちゃと動かしているのまでわかるようになってきた。

しかし文字通りの酔狂な人間だったお祖父さんは気味悪がるわけでもなく、ますます面白がった。
彼の妻にそれを話すと気味悪がられ、やめた方がいいと言われたそうだ。
そうなると却ってむきになって、その奇妙な晩酌を続けた。
終いには動いている口元に合わせて、声 —ラジオで外国語の放送が入ったような、ノイズ混じりの呟き— が聞こえてくるようになったらしい。

雲のない綺麗な夜が続いて数日を経た後、お祖父さんはなんとなく月の言っている事がわかりそうになってきていた。
そしてある晩。いよいよ何を言っているか理解出来そうだとなった瞬間。
不意にパシンッ、と音を立てて持っていたお猪口が割れた。
冷たいと思うと共に、酒の匂いがぷぅんと辺りに漂って頭がひどくクラクラしたのだという。

そこからの証言は彼と、彼の妻や両親とで食い違っている。

お祖父さんはその時を境に「家の二階に間借りしていた妻の弟が消えた」と主張している。
他の家族は「酒でおかしな幻覚を見て変な事を言っている。そんな男はいない」と主張している。

実際のところBさんのお祖母さんには弟はいないのだという。
そもそも酔ったお祖父さんの言うことであり、戸籍などに証拠があるわけでもない。
結局お祖父さんのお酒でやらかしたエピソードの一つとして語られているのだが。

お祖父さんの娘であるお母さんが、Bさんにこっそり教えてくれた事を言うと、彼女にはその『叔父さん』との記憶があるのだという。
祭りに連れられて行ったり、二階の部屋へ行って本を貸してもらったり、食卓を一緒に囲んでいたり、ごく断片的なものとは言え確かにそういう思い出があるのだ。
お母さんの感覚としては、そういえばいつの間にかいなくなってしまっていたというような感じらしい。
冷静に考えるならばお祖父さんに教え込まれたか、話を聞いているうちに、お母さんもそのように思い込んでしまっただけという解釈になるのだろう。

しかし、これもお母さん曰く。
「今でも覚えてるんだけど、その『叔父さん』が間借りしてたっていう二階の空き部屋ね、そこって…、誰かが住んでた跡があったのよ。私物とか…、私の見覚えのある本とか。
 お祖母ちゃんが誰だこれって気味悪がって、全部捨てちゃったけどさぁ…」

晩年のお祖父さんの回想によると、松の上に見えた月の顔は、その夢か現かの彼の義理の弟にそっくりだったという事だ。


出典

この記事は、猟奇ユニットFEAR飯による青空怪談ツイキャス『禍話』内の (シン・禍話  第四十夜(後半一時間はただの雑談です)) 余寒の怪談手帖『桂男』(57:04~)を再構成し、文章化したものです。

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(この記事のお話は、「禍話叢書・余寒の怪談帖 お試し版」と「禍話叢書・弐 余寒の怪談帖 二」に収録されています)

ヘッダー画像はイメージです。下記のサイトよりお借りいたしました。
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