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吉田くん!本当に『コミュ障は治らなくても大丈夫』なの?

——吉田くんがコミュ障だったなんて全然分からなかったよ。

いきなりだが私、魚住陽向はニッポン放送アナウンサー吉田尚記の友人である。編集者で小説家でカルチャー情報系キュレーターをしている。友人だから彼の著書は読んでおかなくてはと思ったが、そんな「付き合い状態」もしくは「ステマ」で本の感想を書こうと思ったワケではない。私は「吉田尚記」史の生き証人として書いておかねばならないことがある。そんな使命感がふつふつと沸き上がった。長文だが、しばしお付き合いいただきたい。

吉田くんと出会ったのは20世紀も終わろうとしている頃だった。お笑いライブが毎晩行われている小さな劇場。センター街の端っこにあった渋谷シアターDだ。

私は、お笑いの中でも若手芸人を中心に取材したり、2〜3日に一度は都内のお笑いライブに通っていたフリーランスの編集者兼ライターだった。取材する側にいるとコミュニケーションに長けた人間に思われるかもしれないが私も立派なコミュ障だ。コンプレックスやらトラウマやら子供の頃からひどかったが何とか克服しようとドタバタと格闘してきた。でも、隠さないと商売にならないからひたすらごまかしごまかしやってきて、その度に眠れなくなったり、消えたくなること山の如しの毎日だ(今もほとんど変わらないし、マジで治らない)。

1999年頃、シアターDの客席通路に立ち見している青年が目に入った。細身の体形でさわやかできれいな顔立ち。一番印象的だったのが「とてもオーラがきれいな若者」だったこと(言っておくが私に霊感やオーラが見える能力はない)。

(ホリプロの新人タレントさんかな?)
いろんな芸能事務所の芸人やタレントを見てきて、だいたい芸風やタイプから「あの事務所かな〜?」と判断できるようになっていたから、「あのオーラの出方は洗練されてるからホリプロかも」ぐらいに思ったのだ。そこで知り合いのあるマネージャーさんに聞いてみた。
「あの人、ホリプロのタレントさんかなあ?」
「え、あの人はアナウンサーさんだよ。若手芸人に詳しいし、芸人の友達も多いんだよー。あ、紹介してあげるよ」
それがニッポン放送アナウンサー吉田尚記との出会いだった。

それから彼とはお笑いライブ会場でよく会って話をしたり(彼はお笑いオタクでもあったんですよ)、たまに飲みに行ったりするようになった。彼はいつも明るくて飲み会の席を盛り上げる中心人物だったし、メディアの人間なのに偉ぶったところも業界人の嫌ったらしいところも全くなく、第一印象のきれいなオーラのままだったからコミュ障だったなんてつい最近まで全然気がつかなかった。
そう……『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』(太田出版)が発売されるまで。

まぁ、私自身も他人から見ればかなりおしゃべりで、余計なことばっかり喋ったり、初対面でも盛り上がれたり、人前で喋るのも別に嫌いじゃない。ライター講座の講師も6年ほどやってたこともある。自分でトークイベントも開催したこともある。
でも、これってコミュニケーションじゃないんだよね。会話のキャッチボールはしてないから。そう、コミュ障は隠せるし、他人には分からないことでもある。
だから、吉田くんがコミュ障だったって知ってビックリしたのと同時に、友人である彼の何を見てきたんだろうって思ったのだ。
特に最近はネットのコミックエッセイ劇場『コミュ障は治らなくても大丈夫』を1話ずつ読む度に胸が痛くなっていた。

思い当たる節を探すとただ一つ、「これは若い彼には荷が主すぎる仕事だった」と記憶している出来事がある。

——皆さん、「チョコレイトハンター」って知ってますか?

「おいおい、今は吉田アナの話だろ。何、突然聞いてるんだよ」と思ったあなた。まぁ、急がずに…これは前フリなのだから(←前フリ長げーな)。

「チョコレイトハンター」略して「チョコハン」は伝説のお笑いユニット。
「ラーメンズ(小林、片桐)」と「アルファルファ(飯塚、豊本)」と「オークラ」の5人で、コントもやればアイドル並みにダンスもする。
あ、「アルファルファ」の2人に角田さんをプラスすれば「東京03」です。当時、角田さんは「プラスドライバー」(トリオ)だっただけに(←うまくない)。「オークラ」は当時もう放送作家だったが、昔は芸人で「細雪(ささめゆき)」(人力舎)を組んでいた。
「チョコハン」は光GENJIみたいにキャーキャー言われようと作ったユニットなので、ミーハーなファンに黄色い歓声浴びせられて本望だったと思うが、数年で解散したので、伝説のユニットと言われてるのだ。

さあ、前フリ終わって、ここから吉田アナと関係がある話です、大あり。

2000年3月のこと。東邦生命ホール(現・渋谷クロスタワーホール)というキャパ300人の会場で「チョコハン」が出演する「ペーパーコメディアン」というお笑いイベントがあった。チケットは完売。立ち見まで出ている。もちろん当時、アルファルファ押しの私も観に行っており、後方の席でステージに立つ出演者が小さく見えた記憶がある。
第1部はスケッチショーと題されたコントや芝居。
シャカ、ゴリけん(ワタナベエンターテインメント)や、故林広志プロデュース「親族代表」がコントや芝居して、トリの「チョコハン」が登場してダンスしただけでキャーキャーがすさまじかった。

そんな大盛り上がりの第1部の後に、第2部がトークライブ「芸談」。
ステージの左右にテーブルが分けられて、まるでディベートでも始まりそうな座談会の司会が……まだ25歳の吉田尚記だったのだ。

座談会も始まってしばらくは、問題なかった。
「チョコハン」からはラーメンズ小林とオークラが並んで座り、適当にシュールなボケをかましていた。
反対側のテーブルにはシャカ大熊と故林広志(安芸純がどっちに座っていたか憶えていない)。
まぁまぁ、和やかな雰囲気でスタートして、吉田くんもうまく回していたと思う。
ところが途中、故林広志が「ひとを笑わせたり楽しませるお笑い芸人にお金(ギャラ)は必要なのか」という芸人のアマチュアリズム的な議題になった途端に、時間が止まった。会場の空気がピリピリと張り詰め、凍りついた。ラーメンズ小林とオークラが顔色を急変させ、下を向き、一切喋らなくなってしまったのだ。彼らもそのままボケ倒せばいいものの、まだプロの芸人になって2年ほど。ひとを笑わせることを生業とする芸人といっても半分は芸術家気質が残ってる人たちだ。台本もない座談会で、自らの怒りを全身からにじみ出していた。何も答えない。下を向いて機嫌が悪い状態が続く。

一番困っていたのが、司会の吉田くんだ。
アシスタントの女性は元芸人の女性(名前も憶えてるがあえて言わない)。ハッキリ言って立ってるだけ。役には立たない。

機嫌を隠さない芸人2人をもう元には戻せない。盛り上げるなんてとんでもない。故林広志の発言の真意もフォローできない。吉田くんが青くなって、オロオロしているのが遠くの席から分かった。可哀想なぐらいだった。
(最後にフォローして進行を戻してくれたのは、シャカ大熊だった)

彼にはこの座談会の司会は荷が重すぎた。繊細で、無神経じゃないところが吉田くんの良いところだが、この場面は図太さが必要だ。こんなのベテランの司会者じゃないと無理だ。
私はこの時のことを思い出すたびに、あの座談会が「宇宙人は本当に存在するのか?」ぐらいのどーでもいいテーマだったらどんなによかっただろうと考えることがある(←なんじゃ、そりゃ)。

それぐらい、あの司会の仕事は吉田くんにとっての「苦行」の時間だったように思えるのだ。
今思えば、ちょうどアナウンサーの仕事で悩んでいた真っ直中だ。
先月、ネットで公開されたサイトで『コミュ障は治らなくても大丈夫』を何話か読んだ際、驚いて彼に聞いたことがある。
「あの、うまく会話のキャッチボールが出来なくて悩んでいたのって、出会った頃のこと?」
「そうですよ、ちょうどあの時期です」
そうか…。そうだったのか…。そう思うと感慨深い。
彼は努力したのだ。悩んで悩んで答えを見つけようともがいたのだ。
彼がコミュ障だとは気づかなかったが、彼が社内で「使えるヤツ」に昇格していった経緯は見てきた。銀座生まれで慶応ボーイで終わらせない怒濤のオタク快進撃も見てきた。

——本当に…コミュ障は治らなくても大丈夫?
いや、本のタイトルをそのまま鵜呑みにして「治らなくても大丈夫」だからそのままでいいや…なんて、開き直っちゃいけない。
この本を読んで、吉田くんの今までの道のりを思い返してみると、彼の「努力」が見えてきた。

何にでも興味を持とう
知的好奇心を高ぶらせよう
ひとを嫌わないで生きよう
すぐに行動しよう
気に入ったフレーズはすぐ単語カードにメモろう
素直に他人の言葉に耳を傾けよう
他人のせいには決してしない
否定的な言葉は使わないようにしよう
時に大胆になろう
企画は常に考え実現させよう
諦めたりせず、放り出さずにやっていこう

すべて彼がやってきたことである。
本当は負けん気が強いところがあるのだと思う。
コミュ障は治らなくても大丈夫』の終わりぐらいに登場する彼の同期Oさんの発言に同感だ。
——彼は変わっていない。
変わったのは2010年ぐらいから超多忙な有名人になってしまい、どこか遠い人になってしまったことぐらいだ(笑)。

最後にコミュ障の私からコミュ障で悩んでる人、困ってる人に向けて言いたいことがある(長くてすまん)。
まずは『コミュ障は治らなくても大丈夫』を買って読むこと(←ステマちゃうで)。
読んだら、本をパタンと閉じる。そして、吉田くんのラジオ番組を聴く。
あんまりマジメに思いつめちゃダメだ。
適当にする部分は適当にすること。肩の力を抜いて、大きなため息だってついてみよう。
自分を追い込んでいいことなんて何もなかったからね。体験談だ。

だってさ、吉田くんも結構テキトーなとこあるぜ(笑)。
そこが彼のいいところなんだけどね。
(了)

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追伸:この本、水谷緑さんに描いてもらって本当によかったと個人的に思う。彼女のマンガじゃないと成立しない本ではなかろうか。それぐらい感動したよ、水谷さん。表情がうまい。構成もいい。いつかお目にかかれたらもっと直接ほめたいです。←今、言えよ!(笑)

コミュ障は治らなくても大丈夫』(KADOKAWA)
著:吉田尚記(ニッポン放送アナウンサー)、水谷緑(マンガ)

by 魚住 陽向(うおずみひなた)
小説家。カルチャー情報キュレーター。フリー編集者。資格「おさかなマイスター アドバイザー」取得。長編小説『天然オヤジ記念物 江戸前不始末』発売中→http://www.ark-books.com/edomae/
編プロ「アーク・コミュニケーションズ」WEBサイト内「アークのブログ」企画・執筆→http://www.ark-gr.co.jp/blog/

#吉田尚記 #よっぴー #コミュ障は治らなくても大丈夫 #エッセイ

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