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小説「いつか深い穴に落ちるまで」

小説「いつか深い穴に落ちるまで」を読んだ。
第55回文藝賞を受賞した作品で、奇抜なあらすじに惹かれて購入した。

あらすじ
戦後から現在まで続く「秘密プロジェクト」があった。発案者は、運輸省の若手官僚・山本清晴。敗戦から数年たったある時、新橋の闇市でカストリを飲みながら彼は思いつく。「底のない穴を空けよう、そしてそれを国の新事業にしよう」。かくして「日本‐ブラジル間・直線ルート開発計画」が「温泉を掘る」ための技術によって、始動した。
その意志を引き継いだのは大手建設会社の子会社の広報係・鈴木一夫。彼は来たるべき事業公表の際のプレスリリースを記すために、この謎めいた事業の存在理由について調査を開始する。

↓↓ネタバレあり↓↓

■「日本‐ブラジル間・直線ルート開発計画」の目的は何なのか?

目的はないと思う。強いて言えば、「計画を実施すること」が目的になっている。

冒頭で、山本は「日本からブラジルへ続く、底のない穴を開けましょう」と上司に提案する。そして、その計画はなぜか却下されることなく、「計画を実施すべき理由」を話し合う会議に歳月が費やされる。

これは、僕が会社員だったときに見てきた光景に似ていた。古い体質の日系企業では(僕がいた会社だけかもしれないけど)、よくわからない事業が急に動き出すことがある。

予算も実現可能性も、酷い時には「やる目的」すら吟味されていない状態で、ただ「やること」だけが先に決まるのだ。「やること」が決まった後に、「なぜやるのか」を必死になって考える。

特に、2020年はその傾向が顕著だった。
その年は「DX(デジタルトランスフォーメーション)」がある種の流行語みたいになっていて、いろんな企業のIT技術の活用例が話題になっていた。

僕がいた会社の経営陣も、その時流に乗り遅れまいと必死だったのだと思う。「デジタル化を推進しなさい」「事業にAIを活用しなさい」という指示が各部署に出されて、部長クラスの人たちがそれらを盛り込んだ事業計画を考えていた。

すると、その後の会議資料には「そんなことできるわけないでしょ(orやったところで意味ないでしょ)」と思うような事業計画が乱立していた。本来は手段であるはずの「AIの活用」が目的になっていた。
(愚痴:そもそも、「AIとは何で、どういう領域に活用できるか」を正確に理解している社員が十分にいるのかも疑わしかった。ほとんどの社員はただ漠然と、「人がやってる仕事を機械がやるようにすればいい」ぐらいの認識しかしてなかったと思う)

「いつか深い穴に落ちるまで」の登場人物もそうだった。
山本が「日本-ブラジル間・直線ルート開発計画」の提案をしたきっかけは、上司に「戦後の今、平和の時代に興すべき新事業の計画が求められている」と焚き付けられたからだ。

運輸省の現状に何か課題があるわけでも、彼が個人的に実現させたいビジョンがあるわけでもない。「何か事業を興さないといけないから」という理由で事業を計画したのである。

そして、「日本-ブラジル間・直線ルート開発計画」を実行すること自体には疑問を抱かず、「オリンピックの集客に役立つのでは?」「防空壕として使えるのでは?」などと、後になってから計画を実施すべき理由を探し始めていた。

■鈴木は何を考えてる?
鈴木は山本の意思を継いで「日本-ブラジル間・直線ルート開発計画」に携わることになるが、どうしてこの計画から離れようとしないのか疑問だった。途中で、こんな台詞がある。

「組織のなかで間違った決定が下されたとき、それを間違いだと断じることも、それに従わないことも、さほどたやすいことではないだろう。組織を離れてしまえば自分は逃れられるが、代わりにほかの誰かが後始末を背負い込むことになる」

たしかに、「日本-ブラジル間・直線ルート開発計画」を進めようとしている会社や上司に対して、「そんな計画おかしいですよ」と抵抗するのは難しいかもしれない。だったらせめて、会社を辞めればいいのにと思った。

そしたら「ほかの誰かが後始末を背負い込むことになる」かもしれないけど、そいつも同じように組織に抵抗するか、組織を離れるかを選択すればいい。そもそも何かあったときに「ほかの誰かが後始末を背負い込むことになる」のが組織なのだから、負い目を感じる必要もない。

ただ、鈴木は広報係を任せられたときに「運命の皮肉として受け止めるよりほかはなかった」と考えている。計画のおかしさに気づいてすらいないのかもしれない。

そして穴が完成した後、本当にブラジルまで行けるかどうかをテストするために、鈴木は穴に飛び込むことを命令される。
このとき、鈴木が飛び込む前に人間以外でテストした様子はない。人間が飛び込んでも安全なのか、専門家が検証したような描写もない。
ぶっつけ本番で、いきなり人間を使ってテストしようとするのである。

鈴木が穴に飛び込んだ後、ブラジル側で待ち構えていた作業員の目には「通り抜けていった者の姿は、見えなかった」という事実が明らかになり、この小説は締め括られる。これは比喩ではなくて、本当に(物理的に)鈴木の姿は見えなかったのだと思う。当然だ。

日本からブラジルに続く穴があったとして、そこに飛び込んだら途中で灰になってしまうことは簡単に想像がつく。

■何も考えずに働いてきたサラリーマンの末路
読み終わった後に真っ先に思ったことがこれだった。何も考えずに働いてきたサラリーマン=鈴木だ。

「日本-ブラジル間・直線ルート開発計画」が事業として成り立っていないことにも、自分がその広報係を任されたことにも、鈴木は何の疑問も抱いていない。ただ上司に指示された通りに、黙々と働いている。その結果、穴に飛び込んだら死ぬということすら判断できない人間になってしまった。

僕が以前に働いていた会社でも、明らかに採算が取れていないような事業計画があったし、その担当を任されたこともあった。

僕は鈴木なんかと違って、組織が間違った判断をしたときに、その組織を辞める判断がすぐにできる人間で良かったと思った。


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