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れいりえのこと

2015年、青森は短い夏が始まろうとしていた。ぼくは高校3年生で、青森で過ごす最後の夏。

当時青森には、夏の魔物というフェスがあった。そのフェスは、バンド、アイドル、ラッパー、DJ、グラビア、吉田豪、サブカル大集合って感じのイベントで、かなり独特の雰囲気を醸し出している。(東京に来てからその独特な感じに気がつくことになる。)

その年の参加アーティスト発表のページに、LADYBABYというアイドルグループの名前があった。

そこで初めて存在を知り、MVを見てみると屈強な外国人と、夢みたいに可愛い2人の3人組グループ。当時日本での知名度はそこそこだったが、ニッポン饅頭という曲は海外で鬼のような再生数を稼いでいた。


講談社が主催するミスID2015のグランプリ、準グランプリを取った2人と、レイディビアードの3人が、クリアストーンというコスプレ衣装を制作する会社のPRのために組まれたユニットである。

3人がいた状態を、LADYBABY第1期と呼ぶことにする。

第1期では、日本の文化、コスプレ、kawaii-Deathなどのコンセプトが強く見られるパフォーマンスだった。そのためそれぞれメンバーのパーソナリティなどあまり押し出しておらず、ただの色物と判断した人々も多いだろう。

ぼくは、色物で、はちゃめちゃなコンセプトの期間限定のアイドルやバンドが好きなので、どハマりした。ニッポン饅頭の中の「なんちゃってなんて頑張ってるうちに先輩も本物も本家も元祖も超えちゃってくの」ていう歌詞は、色物なことも、一発屋なことも、全部わかってやってるのかも、、、!と思える天才さ。
というかこの曲の歌詞を全部真面目に読んでほしいんだけど、聞くとすごく心が楽になるし、がんばろー!って素直に思える超等身大密着型応援ソング。

この時私は、すごく面白いグループだと思っていたが、のめり込むことになるのはもう少し先のことだった。

2016年4月、僕は上京し、いつでもアイドルやバンドのライブに行けるようになった。そんな環境になった矢先、LADYBABYはビアちゃんの脱退、同時に充電(活動休止)が発表される。ここで僕はライブ行っておけば良かったなとは思ったが、ビアちゃんがいないのに成り立つのかな、とも思った。でも、そんな心配ぜーーーーーんぜんいらなかったのである。

2016年秋ごろ、「The Idol Formerly Known As LADYBABY」という名前での活動再開が発表される。
復活1発目の曲は、当時謎に流行していた御朱印巡りを題材にした曲だった。ビアちゃんが抜けて2人になっても元のコンセプトはゆらがなかったが、それとは裏腹に、金子理江と黒宮れいの関係性が変わっていっているのがわかった。

れいちゃんは、ライブ前や、イベント中いろんなことに不安そうで、いつも理江ちゃんに声をかけてもらっていた。その姿は、ほとんど恋人みたいで、2人だけで生きてるみたいだった。

アイドルのイベントや、メディアに出ても2人は誰にも(オタクにも)媚びることはなく、自分たちのSNSでライブの告知すらしていなかった。どこいっても無敵の2人だなと思うのと同時に、誰のこともまったく信頼していないこともわかった。たぶん信頼してたのはミキティー本物ぐらいだと思う。

僕はりえちゃんと同い年で、この時18くらいだったから少し気持ちはわかった。全部は理解できないけど。

2人の仲が深まるほど、アイドルグループとしての状態はいつ終わってもおかしくない、っていう雰囲気がぷんぷんだった。めちゃくちゃに不安定で、めちゃくちゃに魅力的だった。

デビューしてすぐのKAT-TUNとか、それぞれのソロ活動が目立ち始めた頃のX japanとかと同じ種類の魅力だと思う。


アイドルという存在はもとからそういう側面があるけど、第2期のLADY BABYは本当にそれが顕著だった。

「The Idol Formerly Known As LADYBABY」になって2枚目のシングルは、「Pelo」というタイトルだった。ガキだと思って舐めんなよっていう内容の歌詞で、B面には、大森靖子作曲の「LADYBABYBLUE」も収録された。
ここで完全に、グループの運営方針、コンセプトが変わった。

本人たちの存在と関係性がコンセプトになった。

これはオタクの需要を理解しまくった素晴らしい判断だったと思う。しかし、これはLADYBABY第2期の終幕が近いことを示しているみたいだった。

2017春頃、Peloのリリイベが始まると僕は友達と3人でたくさん見に行った。

池袋サンシャインシティの噴水の広場で特典会があったときは、れいちゃんはすごく元気がなくて、りえちゃんがオタクと話して、れいちゃんは静かにピースして写真に映るだけだった。

でもたぶん、それに文句を言うようなオジサンオタクはいなかった。2人がこの活動を少しでも長く続けられるように僕たちに何かできることはないだろうか(でもオタクにできることは基本的に無い)みたいな、謎の連帯感があった気がする。

その時は誰も言語化してなかったけど、ほんとにそういう雰囲気があった。


その時期、2人はよく渋谷でライブをしていた。ツーマン企画とか、男限定とか、女限定とか。僕らは3人でたくさんライブに行った。

男限定のときは整番一桁代を3枚取れて、友達3人で最前ドセンを取って、死ぬほど楽しんだ。この時期は、ライブの動員が女の子を中心に増えていっていて、2人はティーンのカリスマみたいな評価をされ始める。本当に勢いがあって、僕らもこの時期に死ぬほど通い続けた。

自分の話しちゃうけど、渋谷のセンター街を抜けたところにあるサイゼでよくライブの前まで待機した。ライブが終わった後は特典会では緊張しすぎて床しか見れなかったことを報告しあうために居酒屋に入って、遅くまで飲んだ。れいりえが好きなことだったことだけが思い出じゃなくて、れいりえが好きだったから起きたことがたくさんある。

すごい勢いで、会場はおっきくなるし、お客さんは増えていくし、それに比例して、ライブ中のヒヤヒヤ感みたいなものも大きくなっていっていた。


2017年、夏の終わりかけに、れいりえはpinky!pinky!というシングルを出した。それはやはり、3曲中3曲が自分たちのことを歌ったような歌詞だった。この3曲は、全部2人のアンセムになった。なかなか気持ちを口にしない二人がそんな曲を歌ってくれるのは、ファンには本当に意味があることで、みんな泣きながら聞いていた。


この曲をリリースすると、雑誌の取材、テレビ出演など、いろいろなメディアに露出しはじめていた。この尊さって世の中の人たちも気がつくんだ!って素直に思った。

この曲のリリイベには、都内のイベントは全部行くくらいの勢いで行っていた。ただ2回行けなかった日があって。それが、豊洲のららぽで行われたリリイベである。

その日は大学の後輩がそのリリイベに行っていて、終わった頃にDMで連絡が来た。なんかわかんないけど二人の雰囲気がやばかったっていう内容だった。

その後しばらくするとれいちゃんは喉の調子が悪い、という発表があった。それが原因なんだーと思って言い方が良く無いけど安心した。

リキッドルームでのワンマンも決まっていたし、それは喉が不調だけど決行するという内容だった。それを楽しみにしていた。


10月28日、リキッドルームに向かうと、本当にたくさんの人がいた。そこにはたまたま大学の友達が5人くらいきてたし、地元の友達にも2人会った。すごいことが起きているのがわかって、ライブが始まるのが本当に楽しみになってきた。
でもライブが始まると、今まで見ていた二人とは違う二人だった。

二人でステージに立ってはいるけど、別々にパフォーマンスしていて、ライブが流れていく印象。違和感がたくさんあった。僕はそれを口に出さないようにたのしかったー!っておっきい声をだして恵比寿の駅に向かった。

2017年11月17日、黒宮れいの脱退が発表される。


あの頃の2人は、私たちに何を見せてくれていたのだろうか。

アイドルは、未完成なまま売り出して、成長を見届ける。それが日本のアイドルの特徴だ。そうはいいつつも、私たちはプロのアイドルを求めている。AKBの恋愛禁止は、人間っぽさをなくすために設定してあって、ダンスや歌など未完成な部分は、作られた未完成なのかもしれない。成長することがコンセプトのアイドルグループはいくつかある。しかしそれは、コンセプトとして打ち出すことによって偽物みたいになる。

というか、ほんとのことはみんな隠す。それが今までのアイドルが持っていた根性論みたいな美学だったんだと思う。

れいりえはその美学なんて関係なかったし、2人で必死に生きてる姿を見せてくれた。めっちゃピュアだった。

2017年、れいとりえは2人で生きていたし、それを見ていたぼくたちは、僕たちだけで生きていた。外から見ていた人たちには、何が起きていたのか理解できないと思う。それでよい。そこにいた全員、めちゃくちゃナードでモラトリアムだったのである。

今、2人はまたREIRIEという名前で活動を始めている。2人はモラトリアムを完全に抜けて、大人になった。

あの頃、あそこに集まっていたみんなはどうだろう。取り残されずちゃんとモラトリアム抜けられてるかな


2017年、池袋サンシャインシティにて

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