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「専門職だ」とかいう変なプライドはいらない。みんなただの人間だよ。施設や事業所や従事者が人間である相手を囲い込んで狭い世界に閉じ込めるのが福祉じゃない。

僕が今でも福祉の仕事に携わっているのは、この人のおかげ。Mr.T。

今から10年前に前職の営業職サラリーマンを辞めて、音楽療法の専門学校に入学したと同時に始めた福祉のバイト。デイサービス、ショートステイなどを転々としてた頃に出会った脳性麻痺のおじいちゃん。それから彼の自宅に訪問介護員として生活のケア全般をするために通った。最初に入った日に引き継ぎノートをパラパラ読んでみた。外出の様子がまったくなく、4週間とか家に閉じこもりっぱなしだった。なんでそんなに閉じこもってるの?って聞いたら「誰も連れてってくれない。言葉を理解してくれない。」と言った。僕は『そんなこと愚痴っててもしょうがないから外出して、しゃぶしゃぶとか食って、女の子と遊んでる楽しそうな写真とか撮って自慢しようぜ』と返した。翌週から横浜や渋谷やお台場や代々木や二子玉川に遊びに出かけまくった。温泉にも行った。その様子を引き継ぎノートにどんどん書いていった。楽しそうな写真は部屋を埋め尽くしていった。買ってきたお土産を飾り、ファッションにも気を使うようになり、帽子もジャンパーもシャツも増えていった。地元の商店街のお店にも出入りするようになって、飲食店では僕らが入ると自然と椅子をどけて水にはストローをさして食べ物は細かく切ってくれるところまで出てきた。


外に出ないと何も変わらない。家の中や施設の中だけで完結する人生を望んでいない人がいるのならば、外に出て人生の選択肢を無限に増やし、共に選び、そして様々なバランスをみて共に実行するところまでをやるのが対人援助職の最低限の仕事だと思う。


俺は相手には合わせない。基準は自分。「ご利用者さんの立場に立って」なんてクソ喰らえだと思っている。相手の立場になんて立てない。自分というエゴイズムを相手に提示して、その世界観を一緒に観に行こうよと誘う。どんどん提示していく。俺 対 あなた。人間 対 人間。ただそれだけでいいんだ。自然体でいいんだ。
そうやって共に5年間過ごして俺はその事業所を辞めた。1ヘルパーとしてMr.Tの社会参加を促すことはできた。引き継ぎノートに毎週他のヘルパーに「この人は外に出たいんだ。みんなも出ようよ。」というメッセージと共にその日の出来事を共有し続けた。そしたらみんなも動き始めてくれたんだ。すげー嬉しかった。


次はもっと外の人たちだ。
Mr.T以外の人はどんな生活をしているんだろう?きっと閉じこもっている人がたくさんいるんだろうなぁ。訪問介護だけじゃなくて施設とか通所のサービスを受けている人はその生活に満足しているのかなー?現場で働いている従事者は利用者の社会参加や人生や生と死についてどう考えているんだろう?医療福祉業界以外の人は、きっとそのへん何も興味ないんだろうなぁ。


そういった疑問や違和感を解決していくにはどうしたらいいんだろう?
そんな気持ちがどんどんどんどん膨らんでいって、なにか事業を通じてメッセージを発信していけないかなーということでUbdobeを組織化して今に至るわけだ。今では色々な事業を展開しているけど、全てのルーツはこういった生身の人間との出会いや別れがベースになっている。


そんなMr.Tが久しぶりに三茶に会いにきてくれた。もうヘルパーを辞めて4、5年くらい経つのにこうやって会いにきてくれるのが本当に嬉しいし、従事者と利用者というジャンルを超えて人間と人間という感覚で時を過ごしてきた結果だとも思っている。


一緒に写っている百花は18歳でうちのSOCiAL FUNK!のボランティアスタッフから始めて、移動支援のバイトをしてから大手企業に就職をして3年間修行を積んで帰ってきたうちの社員であーる。Mr.Tは百花が大好きなのであーる。
こうやって一人一人が一人一人の人間同士を繋げていくことから全てが始まるんじゃないかなー。


福祉のサービスを利用する当事者と接することができるのは従事者だけじゃないよ。「専門職だ」とかいう変なプライドはいらない。みんなただの人間だよ。施設や事業所や従事者が人間である相手を囲い込んで狭い世界に閉じ込めるのが福祉じゃないと思う。


もっと外へ、もっと自然体で、もっとオープンに、もっともっと色んな人と混沌の社会を創っていきたいと思う。
そんな気づきを与えてくれたMr.T、本当にありがとう。また会いましょう。

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