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37歳・男。「働く」ということの意味が少しだけ分かってきた気がする。

1981年東京生まれアメリカ育ち
37歳、AB型、男。
長野移住歴4ヶ月。

今日は薪を割った。
薪割りというのは単純に薪を割るという作業だと思っていたんだが、全然違った。
薪割りとは、古(いにしえ)への旅路だった。
は!?何言ってんの?と思われるかもしれないけどマジでそんな感じだった。

薪を土台の上に乗せ、斧を構え、腰を下ろし、また上に腰を上げる反動と共に斧を振り上げ、再び振り下ろす。振り下ろすといっても、腕の力を使うわけじゃない。斧の重さに身を任せつつ少しだけ重力に従って体重をかけるイメージ。これがマジでむずい。

一振り一振りへの集中力が必要で、その集中が切れると斧は薪をかすり、土台にドスンと落ちるだけ。下手したら斧が足に突き刺さる可能性もあるので本当に慎重に取り組んだ。
何本も何本も繰り返し斧を振り下ろすうちに、だんだん薪が敵に見えてくるんだ。「こんにゃろー、倒してやる。強えなお前、ぜってーぶった切ってやる。」そんな気持ちで振り下ろす。ところがどうでしょー、さらに何本も何本も割っているうちに、敵だと思っていた薪がなんだか尊い存在に思えてきてしまった。年輪を見ているうちにその年輪の中に引き込まれていく〜。次第に自分の呼吸と風だけが聞こえてくる。スピリチュアルな感じではなく、なんとなくそんな感じに思えてきたんだ。

「人類はいつから薪を割って燃料として活用してきたのだろうか?」そんなことを考え始めたら、そもそも俺が斧を振り下ろしている木々たちは何十年何百年何千年という時を生きてきた大先輩じゃねーか。敵なんかじゃない。パイセン。むしろ俺が一生かかっても辿り着けないような次元を生きてきた大パイセン。雨の日も風の日も必死にこの地球上で何年も生きながらえたとんでもねー生命力の持ち主、まっきーパイセンだ。
Wikiパイセンがすげー長文でまっきーパイセンについて語ってるからここにも一部載せるね。長いけど読んでくれね。

『日本では戦前はむろん、1950年代まで家庭用や産業用の主要エネルギー源であり、炊事や風呂焚きはほとんど薪によって行われ、どこの家にもマキ割りの鉈があった。高度成長期に石油や電気にとって代わられ、1970年代には都市部で日常の燃料に使う家庭はほぼ消滅した。現在家庭燃料としては石油(灯油・重油)などが使われるが、現在も地方の一部では薪が使われている。田舎暮らしブームに伴い、薪ストーブや囲炉裏などの薪を使う製品が、趣味の生活用品として憧れの対象になっている面もある。

また、2007年現在は原油価格の歴史的高騰による石油の価格上昇から石油ストーブよりも薪ストーブのほうが売れ行きが好調の地域もある。

欧州では、薪を使った伝統的な暖炉を使用する家庭が依然として多いが、都市部では薪由来のばい煙が粒子状物質などの数値を押し上げ、大気汚染の一因として指摘されることもある。』

Wikiパイセン、まっきーパイセンのご説明がお見事。俺はとんでもねー次元のパイセンを敵だなんて言って騒いでたんだな。信じられんよ。

しーかーもーー、薪割るじゃん?そのあとすぐに使えるわけじゃないんだって!知ってた?ここからさらに二年間もの間、薪置き場で乾燥させたのちに薪ストーブにぶちこみ、がんがんに燃やしてその命を熱エネルギーに変換して僕らは無事暖かい生活を送ることができるのだ。

もう泣けてきませんか?パイセンは命をかけて僕らの生活を守ってくれているのです。東京での生活といったら、「エアコン ピッ」以上でしたよ。なんかやっぱりこういう活動しないとダメっすな人類!最低でも自分の家族や友人にはこういう活動を伝えて生きたいなーと思う。

2018年、春。
僕は、長野に引っ越して、人が動くと書いて「働く」ということの意味が少しだけ分かってきた気がする。

そして今、このnoteを書く手は震えている。重たい斧を振りかざし続けた手の握力が弱まっているんだ。

心地よい疲労。風呂入って、カレーでも食べよう。


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