見出し画像

昨夜はヨーロッパ発祥のサウンドシステムとベースミュージックの祭典「OUTLOOK FESTIVAL」japanのパーティに行ってきた。

渋谷のClub AsiaとVuenosで開催されたこのパーティ、冒頭のDJもそのあとも良かったしブエノスの出演者も良かったのですが、なんだかとんでもない体験を昨日はしてしまったという感覚だけが今は残っている。

その原因は一言で、「GOTH-TRAD」。

タイトルにもつけたんだけど、彼は災害でありパラシュートなしのスカイダイビングであり虚無の彼方に取り残された自分自身を見つめる自分自身であり核融合であり振動や周波そのものであるかのようなDJを繰り広げた。昨日はクラブ好きの友人と滞在していたのだが、イベントの途中でクラブを出てコンビニ前で話し合いをしてからそのまま帰るほどの衝撃だった。

今思えば、というか思い出される同じような衝撃が過去3度あった。

一回目は19歳くらいの時にヒップホップとハードコアしか聞いていなかった僕が町田のDisc Unionの視聴コーナーで初めて「Aphex Twin」を聞いた時のこと。二枚組のアルバム"Druqs"をその場で立ったままそのまま2時間近く聞きいってしまった。もはや記憶が飛んで音のなかをずっと旅していたような思い出しかないが、明らかに人生が変わる音がした。バッキバキの電子音の嵐のなかに数百年続くクラシック音楽の浮遊感とノスタルジーを併せ持つこの音楽は一体なんなのだろうかと立ち尽くした。それ以来、僕はAphex TwinなどのWARP系ミュージシャンの虜になり、レコードでもCDでもTシャツでも「WARP」のロゴを見た日には即買いするようなaddict状態に陥ってしまった。ちょうど昨日もFUJI ROCK FESTIVAL 2017においてAphex Twinが会場限定のカセットテープを限定販売しているとのニュースを聞きつけ、家で一人震えていた。(大げさ)

二回目は21歳くらいの時に群馬の山奥でやっていた武尊祭(ほたかさい)というレイヴに参加した時。それはそれは深い霧の中に突如現れる光と映像が屈折した音空間だった。大雨が降り、本当に霧が深すぎて先が見えないなかThe Cinematic Orchestraの"All that you give"を流すDJがいた。あれは一体誰だったのだろうか。気付いたら空間の真ん中で光に向かって立ち尽くしていた。素晴らしすぎるものに触れると動けなくなるししゃべれなくなるし時空が歪む。完全に時の流れがゆーーーーーーーーっくりになる特徴があるのだ僕は。それ以来僕のお気に入りレーベルはWARPとNinja Tuneになり、レコードでもCDでもTシャツでも「WARP」か「Ninja Tune」のロゴを見た日には即買いするようなaddict状態に陥ってしまった。

三回目は33歳くらいの時にNew Yorkで開催されていた数十年続く伝説のパーティ「THE LOFT」に参加した時。滅多に入る機会などもらえないこのパーティにNYの友人が招待され、偶然その日にアメリカ出張だった僕を誘ってくれた。バカでかいアンティークのようなスピーカーがフロアの四隅に配置され、DJは曲と曲を繋ぐことなく一曲一曲丁寧に全てアナログレコードでかけていた。曲が終わるたびに拍手が起き、また次の曲に進むのだが僕はまた完全にフロアの真ん中に立ち尽くしていた。あまりに滑らかな音と選曲の良さにやられて全ての曲が繋がって聞こえてくるのだ。ここでいう選曲っていうのはいい曲をかけるとかそういうことじゃなくて、壮大なストーリーの中に入れられて旅をするトラベラーになった感覚を起こさせる状態そのもののことね。起承転結があり、最初にいたところに別次元になった自分を返してくれるという文字通り「旅」をさせてくれるような選曲をするDJ。

そして昨日。僕は四度目の衝撃を受けることになった。珍しく家にいた僕はOUTLOOKが始まる23:00に合わせて家を出て渋谷に向かった。出演陣のsoundcloudを漁りながら誰をメインで見るかを決めた。それが「GOTH-TRAD」である。Rebel Familiaのベースじゃない方の人ね。Kaikoo FesかなにかでRebel Familiaでは見たことがあり、存在は知っていたがソロのライブやDJを見る機会がなかったのだ。Rebel Familiaでもそうだが、彼らはMCをしない。そして客と目を合わせることもしない。その男気溢れるライブアクトにいつも憧れをもって見ていたのだが、昨日はなんだかそれ以上の状態になり、行き過ぎてしまったかもしれないと思えるようなDJプレイだった。

一つ前のDJが裏拍のレゲェ感ある曲で終わった。一瞬の拍手のあとにGOTH-TRADのプレイが始まった。僕は1音目でびっくらこいた。今までのGOTH-TRADのイメージとはかけ離れた、同じく裏拍のレゲェから始めたのだ。その瞬間に「あーこの人はなんて素晴らしいDJなんだ」って思った。前のDJへのリスペクトを忘れることなく、空間を引き継いでいくという感覚。なーんて感動は一瞬。その次の曲からガツガツとゴストラワールドに引き込んでいく。メインフロアには「VOID」スピーカーが三段に積まれた状態で設置してあったので、その内臓に響くベース音の効果もあってどんどんどんどん体の中に音が入ってくる。音が入りきったら、ウォッカを二杯しか飲んでない状態にも関わらず浮遊感を感じすぎてふらふらする...ベースの音で全身が包まれてそのまま空に飛ばされていくような感覚に陥った。そこからはもう壮大な旅です。約60分の旅の末、帰ってきたのはまた裏拍のレゲェの世界。旅をして全く違う次元に達した僕をちゃんと出発地点に戻してくれるDJさんだったという主観。前にNYのCieloというクラブでFrancois KのDJで数時間かけて同じような体験をしたが、その時の感覚とすごく近い。

GOTH-TRADが終わり、その後いくつかステージを回ったが僕も友人もなんだか落ち着きがない。酒を飲みたいとも踊りたいとも思えなくなっていた。「もう、出よっか」お互いが同じタイミングで言った。コンビニの前で立ち話をして帰ることにした。それは立ち話をしたかったということではなく自分たちの体験を言葉として共有してからじゃないと帰れないような状態だったのだ。そこで出た話はクラブとか音楽の話とは思えないようなキーワードばかりだった。「災害」「核融合」「虚無」「中毒」。

つまり、素晴らしすぎるものに出会った時って、その中にいる時は本当に気持ちのよい旅をできているのだけれど、それが終わった時には一気に訪れる虚無感との戦いみたいなものがあって、そこに対処していかないと芸術領域で生き延びることができないんじゃないかって話をしたの。それは、その素晴らしすぎるものが虚無感を生むというよりもそれ以外のものとの比較が生じた時に発生する落差みたいなもので。だからって丸一日そのアーテイストがずっと演っていればいいのかって言われるとそれは違うし、その最高次元で素晴らしすぎるアーティストばかりを集めてイベントをやるのがいいのかというとそういうことでもなく、イベントオーガナイズの深みを一人のミュージシャンであるGOTH-TRADのプレイから学んでしまうという特殊体験を僕らはしたのです。

自分もイベントを創るという仕事をしている身として、本当に貴重な体験だったし、いつかそんなゴストラさん(勝手にそう呼ぶ)を自分のイベントに呼びたいと思ったし、UbdobeとI.W.AではなくONE ON ONEの方で何かもっと音楽芸術的に意味のあることをやっていかねばならぬと決心した夜でした。やっぱり大事なのは、バランスを取ることとバランスを取りすぎないことですね。あー、なんて楽しいんだ音楽って。最高だ。


*GOTH-TRADインタビュー「世界の現場からの提言」
https://www.cinra.net/interview/2012/01/12/000000.php

*GOTH-TRAD Air Breaker (Deep Medi Musik 2012)



2017.7.30  Apex TwinのDruqsに入っている"Vordhosbn"を聴きながら
岡勇樹

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?