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過去の苦労から他人に提供できるのは共感と打開策のみ説。

昨日の書きかけnote群の中の一つで「自分が苦労したことを他人に強要しないでくれ」という主旨のがあって、なんとなく低気圧のせいだからか気分が下に向かう今なら詳しく書けるような気がしているので書きます。

言いたいことは限りなくシンプルで「人は人、自分は自分」を徹底すると「自分が経験した苦労をお前も経験しろ」という思考回路には絶対にならない、ということ。
あと他人の出した結論にぐだぐだクダを巻いたりもしない、ということ。

私の苦しみは私だけのものだし、あなたの苦しみはあなただけのものだ。
ただ、それだけだ。苦しんでいるという事実に対しては、そこまでの認識でいいじゃん。

その上で、自分にできることは提案すればいいし、もし有益になりそうな情報があれば提供すればいい。
どこをどうしたら「自分も苦労したんだからお前もそのまま苦しめ」という言動が生まれるのか全くもって謎。世界七不思議とかよりよっぽど、謎。

認識とそこに生じる自分の感情と相手に与える共感の境界が曖昧で、かつ多大なる己の抱いてきた不平不満をふりかけてそのまま他人にぶつける行為は誰も幸せにならんので、可能な限り避けていきたい。という自戒。

自分がした苦労なんて他人がしてたまるかと思うし(ほんとしんどいんだからな!!!!!)、できるだけ早くもっと有効な範囲が広くなった対処方法が確立されればいいし、苦しんでる人がいて手を伸ばせそうならそうするけど、あなたがもし本当に考え抜いた末に「死にたい」っていうなら私は「そうか」って言うよ。

だってそうじゃないか。

私は少なくとも死にかけたこともないし死んだこともないのでそれがどういうことかわからんのだもの。
目の前にいる人が、自分との親しさにかかわらず何かにひどく苦しんでいて、その打開策として考え抜いた末の結論がこの世からの離脱だというなら、その決断は認めるしかない。

その決断自体に異議を唱えたりはしないよ。
ただ、本当に本当にそれしか方法がないのか、最後までしつこく粘るだろうけども。

今のところの経験上、生命は一度きりのものなので、大事にしてはほしいけれども、大事にする方法としての結論がそれなら、他人がとやかく言うもんじゃないよな。

念のためお断りしておくと、このnoteは決して人生からの離脱を推奨していないしいましんどさの真っ只中にいる方向けの救いでもないし、一個人がそういう人生観で生きているというだけの文章です。

明日は台風で予定されていた船関係イベントが軒並み中止なので、家で大人しくしているという置手紙です。

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