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愛。愛ってなんだ。

わりと気軽に愛を口にして生きているが、内訳としては親愛、友愛、敬愛の類いで世間一般に広く言われているであろう恋愛には一切の興味がない。
重ねて、幼少時に聴いていたサザンオールスターズが「愛という字は真心で、恋という字は下心」と言っていたしまさにその通りであると思うから、やっぱり恋愛のみには興味がない。

好き、とはまた種類の違う、もっと深いところで湧き上がる感情の波のような気がする。
愛、愛ってなんだ。

主成分は誠実さと敬意だと思う。
まず自分に誠実であること、他人に誠実であること、他人を敬い、己のことも大切にすること。
順番はなく、全てが同時進行で、要素要素が折々ややその比率を変えて現れては消え。

ときめき、抉られ、心の動きを脳みそが認識する前に、とめどなく溢れてくる涙。
言葉の一切が消え、思考が停止し、ただただ、だだっ広い何かの空白を感じる瞬間。

愛情は波だが、愛とは不動の、それでいてなんの質量も持たぬ空白のような気がする。
この対象に向けて無防備にどこまでも開かれた心を、なんと言ったら伝わるだろう。

その意味であらゆる言葉もあらゆる表現もすべて一切が無力で、指一本、瞬き一つしてしまえば一瞬で搔き消えるような緊張感の上の穏やかな衝撃。
それによる停滞。捕まえることはできない。ただ肌の下、精神が直で感知する。認識した時にはもう遅い。

愛情は波だが、愛そのものは、何もない。
脳みそがそれを観測する以上、電気信号なのだろうとか思いはするけれども、その本来のところを伝える言葉をいまだに持たない。これから先も見つかるような気はしない。

ただそこに感覚がある。ただそこに、愛がある。

敬意と、誠実さと、優しさ、尊ぶ気持ち、重きをおく、丁寧に、指先を揃える、口角を上げる、歩幅を合わせる、私も今来たところだと言う。
押し付けず、突き放さず、同じ方向を見て、ただ個々の存在であることを忘れず、隣に、あるいは後ろに、適度な距離を持って、立ち、座り、必要であれば手を添え、差し伸べ、頷き、肯定し、時折には愛を言葉に。

気の遠くなる細やかさの上に成り立つ愛を、惜しみなく注ぎたい対象がこの世にありすぎて、とんでもない幸せ者になったような気がしている。
有機無機の類を問わず、大事にしたいと思うこと。

傷つけたくなく、傷つきたくなく、傷つけることのないように計らい、弱点になりたくはなく、ただし押し付けはせず。
押し付けはせず、己と別個の存在であることを忘れず、一個体として認めること、その上で、同じものを見られたらいい。

錆びた船体、揺れる波間、堂々たる船橋、居並ぶ旋回窓。
轟くエンジン音、小刻みの鳴動、吐き出されて昇る黒煙、たちまちの汽笛。
目もくらむサーチライト、吹き上げるダウンウォッシュ、愛おしい、たとえ飛沫で見えなくても。

祈りは救いの道具であって、祈りが救いそのものではないように、愛とは一種の祈りかもしれない。
宛先はわからない、その辺の神様、頼むぜお顔もわからないけど。

愛、愛ってなんだ。

わからないけど、愛してるぜ世界。

何をどうして悩みと疲労が積み重なって、なにかを猛烈に愛したくなったので書き散らかした文章です。結論はこれです。

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