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頼むから、何にもなれずに生きてくれ。 ​

時折、本当にごく稀に他人から「それって何になるの?」と言われることがある。
私が船だのヘリだの好きなものに順当にかまけているときに、だ。ちょっと水差さないでくれないか、この幸福に。

もう本当にぶっちゃけて、本音と結論を言ってもいいだろうか。
「黙ってそのまま何にもなれずに生きてくれ」

自分がふんわり死にたくないので、他人に対しても死ねとは言わない。だから黙って、静かに生きてくれ。
生きててくれ、何にもなれずに。

あなたがそれを私に言うとき、おそらく根底には私の行動が無駄なことだという判断があるのだろうと思う。
だってそう言うニュアンスだから。滲み出てますよ、無自覚だろうけれども。

ねえ、一個訊いていいかい、何かを成すためでないなら、行動したらいけないのかい。
何を成すわけでもなくただ己の満足のために、行動することの何が無駄なんだい。
結果が伴わなければ、動いてもいけないのかい。

その結果を出すための最大限の努力はする、という話かい、それなら付き合おう。
だがそうじゃないなら、口をつぐんで、何にもなれずに生きてくれ。

邪魔をするなと言いたいわけではない、邪魔にもならないから。
どうか、どうか黙っていてくれ。頼むから、その純粋な疑問は、本来あなたが持たなくてもよかったものだと言うことにすら気づかずに、静かに、生きててくれ。

何にもなれなかった人間は、他人の行動に対して何かしら言いたがる。
自分の虚無を他人に押し付けないでくれ。私には、私の推しがいるんだ。私には、私の人生が楽しいんだ。
あなたの虚無なんか、わかったもんじゃないよ。

歩み寄りの拒否ではない。そうなれなかった経緯をきちんと知った上での、折り合いのつけ方は学びたい。
でもな、頼むから、面と向かって言わないでくれ、せめて私には。
私に答えを求めないでくれ。推しを推したい、それだけだ。

わからないから訊く姿勢は素晴らしいから、どうぞそのまま何にもならない問いばかりを人生に投げかけていてくれ。
怒っているわけではなくて、悲しんでいるわけでもなくて、ただただその虚無を見て、引っ張られたくはないなと思っただけです。

ああ、距離を置きたい。逃げるための本能の話です。

怒りは不安に対抗するための防御手段であり、つまりはその個人の弱点であるのだけれど、珍しくあんまりにも虚しくなったので書きました。
不特定多数向けのことを、広く書くのも気がひけるが、やっぱりこれだけは言いたかったのだ。

この心情とは一切別で、今日も人生は楽しいし推しは輝いています。のちのち落ち込んだ時の反面教師のためのnoteです。

いただいたサポートは、まとまった金額になり次第、宗谷募金へ流し込みに行きます。ありがとうございます、推しが潤います。