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ウラ・アナーキズム


まえがき

 すべては2005年6月に発行された『アナキズム』誌における「真景三廃人漫談」(以下「三バカ対談」)から始まります。ほんとは『アナキズム』誌編集委員の人たちは、わたしたちを『アナキズム』誌に関わらせたくないというのを感じていましたが、『アナキズム』誌の特集が『個人主義』だったことと、わたしたちが Individual Anarchismを志向していた関係でイヤイヤながらもおよびがかかったのだと思います。
 しかし、『アナキズム』誌にとっては、それが命取りになり、たぶん編集委員の人たちは誰もが認めないとは思いますが、あの息苦しい『アナキズム』誌を廃刊に追い込んだのは、この三バカ対談だったんじゃなかったかとw(注1)
 収録されているのは、2005年の最初の対談(注2)から、断続的に何度か掲載された対談と、未発表の「ポストコロナ」をあわせた七回分の対談です。基本、3人でしていますが、何度か3人以外の人も入っています。
 
 本書を読んでもらえばわかるんですが、この三バカ対談では、毎回、けちょんけちょんに「アナーキズム」をけなしています。編集委員会の人たちはそうとういやがっていて、この「バカ対談」はヘイトだ、あいつら「在特会だ」(注3)といわれたことがあります。
 え、ちょっと待って、アナーキズムって特権あったっけ、とか、思いましたが、ようするに、何か「正しい」といわれているアナーキズムを批判すると、「アナーキズム」だと見なされないような気がしました(注4)。
 じゃあ、この「対談」はどういうふうに思われているのかな、そう言うなら、その通り、うけいれましょうか、と考えて、思いついたのは、Fake Anarchismです。日本語にするとパチモン無政府主義(注5)です。
 バンコク、KL、シンセンなんかの雑居ビルなんかにある、いかにもなパチモンのハードやらソフトを日が一日ながめていたり、探したり買ったりするのが好きなわたしは、「基本本物よりパチモン」と考えているので、イデオロギーがパチモンって言われても困りません。
 パチモンって、「本物」ではない、なんだか怪しいものです。でも、「これこそ本物です」と言われるものより、ずっとおもしろいものです。それに「本物」よりも、世界のあっちこっちの道ばたで売られているもので、意外に身近にあったりします。
 だったら、「パチモン無政府主義」っていいな、と思ったわけです。
最近、アナーキズム関連の本を乱発されている栗原康の著書について乱狡太郎氏が書いた書評のタイトルが 「偽書アナーキズム」(“Fake Anarchism Book”)ってなっているんですが(注6)、わたしは、栗原さんのアナーキズムは、FakeでなくBusiness Anarchism(儲かりまっせ無政府主義)だと考えています。
 アナーキズムを商売にする、というのはなかなかすごいことだと思います。っていうかアナーキズムでメシが食えるなんて考えたこともないです。アナーキズムに関わることでお金がでていくことはあっても、お金が入ることなんてまずないので、日本では大杉栄以来ではないでしょうか、アナーキズムでメシ食っている人って?
 わたしが考えるFake Anarchism(パチモン無政府主義)とは栗原氏のBusiness Anarchism(儲かりまっせ無政府主義)とは違います。
 さっきも書いたんですが、この対談集で、 わたしたちは、テキトーなことは言いますが、嘘は言っていないつもりです。とくに、「正しい」といわれているから批判しちゃだめとか、そういうことは一切気にせず、同じ考え方のアナーキストといえども容赦なく叩いています。それがゆえに嫌われているのですが、それはイデオロギーに忠実だからではありません。どちらかというといいかげんなパチモンだからです。
 パチモン無政府主義っていうのは、「正しい」ものでも全然なくって、世界のどこの道ばたにでも転がっている実態のあるアナーキズムを志向しているものかもしれません。素晴らしい他に優越する思想、ヒロイックな活動家による革命、世直しロマン、理想的なユートピア、そんなもんどこにもありはしませんし、目指してもおりません。平たく言えば凡庸、平凡。清くもなく正しくもなく美しくもなく、世を震撼せしめる革命家、テロリスト、大悪党でもない、誠に身も蓋もなき輩が、酒や博打、エロに親しむごとくアナーキズムに戯れているのであります。パチモンとは、わたしたちを息苦しくさせる一切の抑圧するものを、みんなインチキ、デタラメやんと笑い飛ばし、ついでにイッチョ前に言ってるわたしたちの思想もしょせんテキトー三流品と笑い飛ばし、やがて来る虚無、死ぬまでの暇つぶし(注7)をせいぜい楽しもうというものです。
してその効果はというと、金と力の支配する世界において、金なく力なくとも、まず自由でいられること。欲望はそれなりに満たされ、理不尽な抑圧にであっても時に遁走、時に反抗し得るゴキブリ並みの生命力を保つことを可能とするものです。
一つ一つの対談で、私たちは、そのような実態のあるアナーキズムを考えようとしていたと思います。そういう対談を全部収録しましたから、この対談集はわたしたちが考えているアナーキズムの集大成になっていると思います。
これ一冊選んでいただければ、そこいらの大手出版社から刊行されている儲かりまっせ的アナーキズム入門書、息苦しい解説書、理論書は一切不要、大変お得になっております。ご愛読賜れば嬉しいです。
 
 
 
 
 
まえがき 注
 
(1)『アナキズム』誌は2001年に創刊され、2015年までに19号が発行されました。編集委員のみなさんは、「廃刊」ではなく「停刊」というかもしれませんね。本書に収録されている「対談」は、ほとんどが同誌に掲載されたものです。各章で、何号に掲載されたかなど、書誌情報を注記していますので、そちらをご覧ください。
 
(2)「対談」となっておりますが、これは本来二人で向かい合ってするものですが、3人なら「鼎談」、五人の時もありますから本来ならばそれらを含めて「座談」ともすべきとこでしょう。敢えて「対談」としたのは、そういう形式上のことではなく、ダイアローグの側面を敢えて強調したいということです。私たちはIndividual Anarchism志向でありますが、それが成り立つ土壌は、言うまでもなく対話によるdialecticな展開でありましょうから。
 
(3)こういう罵倒は心地よいです。もっと酷いこと言ってほしいなw 在特会の排外主義的な主張は全く受け入れられませんが、桜井誠の本気さには、裏表のあるアナーキストより関心があります…こんなこと言うから嫌われるのかw
 
(4)「パチモン」、関西圏で良く使われる言葉なので、牧村史陽編『大阪ことば事典』では、意味は「(名詞)はんぱもの、三流品」とあります。語源は、①「嘘っぱちをこく」 などから来た。②「バタ物」 「バッタ物」 の語形変化という点。「バタ」とは「道端」のことであり、道端で並べて売られている商品。露天商の粗悪品のことから。③「ぱちもん」 = 「ばちった(デザインや機能を盗んだ)物」 「ばったもん」 = 「ばった屋(道端)の物」。とあり、「まがいもん」や「にせもの」のよりまだ低いそうです。「ニコニコ大百科」(仮)参照(https://dic.nicovideo.jp/a/ぱちもん)。
 
(5)彼らのアナーキズムはまず信じることのようです。その概念やアナーキズム正史に連なる活動家、理論家は所与のものと受け止め、疑ってはいけない「信念体系」のようです。
 
(6)乱狡太郎「偽書アナキズム・栗原本 Fake Anarchism Book by Kurihara Yasushi」そのⅠ(Ⅰ)~(3)(2019年7月15日)、その2(2020年1月17日)。関西アナーキズム研究会ブログ参照(https://kansaianarchismstudies.blogspot.com/)。
 
(7)「死ぬまでの暇つぶし」、この素晴らしいフレーズは、YouTubeで毎日投稿アイドル「おこさまぷれ~と。」の超自然体なお嬢様ことりあらちゃんの言葉をいただきました、ありがとうね。
 

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