挑戦者と王者、どちらの立場で自分は頑張れるんだろう?

史上初2度目の春夏連覇を狙う大阪桐蔭と、県内出身者だけで東北勢初優勝を狙う金足農業。甲子園のそんなドラマのような盛り上がりは、ふだんスポーツを見ないわたしの目にもたくさん入ってきた。

そんな中ハッとしたのが、このツイート。

これを見て今回わたしが考えたのは、「挑戦者と王者、どちらの立場でいるときに自分は頑張れるんだろう?」ということだ。

甲子園に比べるととても小さな話で申し訳ないけれど、上のツイートを見てこれを考えるに至ったわたしの昔話に、少しお付き合いいただければと思います。


チャレンジャーだったバレーボール時代

小学3年から中学3年まで、私はバレーボール部だった。1学年が10人程度で、バレー部の人数は常にギリギリ。中学の時は7人で、リベロも含めると全員がフル出場じゃなきゃ回らないようなこともあった。

北海道は全道大会の前に地区予選があるんだけど、その地区のチーム数自体少なくて2,3回勝てば決勝に行けるような環境。そんな中で私の学校はいつも予選敗退、全道なんて夢のまた夢。負け癖がある状態だった。

この負け癖が一番出ている、印象的でずっと心に刺さっているエピソードがある。

私が中学3年で引退の年のある日、チームのみんなでその年の目標を決める話し合いをしていた。そして決めた目標は、たしか「地区で3位以内」

この年に大学までずっとバレーをしていた先生が新しく顧問になったんだけど、私たちが立てた目標を先生に伝えた時、ひどく落胆された。呆れたのか、悲しかったのか、残念だったのか、その時の先生の真意は測れないけれど、どうしてもっと高い目標を掲げないのか、ということをとにかく言われた。それを受けて、結果として全道出場か、全道優勝か(記憶が曖昧)、とにかく高い目標に設定し直した。

でも、正直このとき私は「目標は達成するためにあるのに、できない目標を掲げてなんの意味があるんだ」と思っていた。中学1,2年の時はバレー経験者の指導者もいなくて、ずっと顧問に文句ばかり言いながら練習をしていて、頑張ることも、勝ち方も知らなかった。全部環境のせいにして、基準はとても低いところにあった。


王者の気持ちを知りたかった。放送部時代

高校に入学して、私は放送部に入った。部活選びの基準は2つ。

・文化部であること
・強豪であること

ずっとバレーボールをやっていたものの、基礎的な運動能力はめちゃくちゃ低くて運動は続けたくなかったし、新しい経験がしたかったから文化部がいいということがひとつ。

そしてもうひとつは、ずっとバレー部で負け続けてきてとにかく「勝ってみたい」という気持ちがあったので、なるべくなら強い部活に入って強者の立場を経験してみたいというということ。

この条件で考えた時に選択肢に残ったのが放送部と合唱部で、最後はなんとなく楽しめそうだから放送部に決めた。

放送部で強豪と言ってもイメージできない人も多いと思うが、私が高校に入学した前年、放送部はNHK主催の全国高校放送コンテスト(以下、Nコン) テレビドラマ部門で全国優勝をしていた。その前年にはラジオドラマ部門で全国準優勝、さらにその2年前にはラジオドキュメント部門で優秀(全国3位)と、とにかく強かった。全部で部門は7つあるからスポーツでいう強豪とは重さが違うけど、私たちの代で10年連続全国大会出場とかそういう感じだった。(ちなみに北海道は兵庫に並ぶ激戦区)

放送部に入ってからの私は、当たり前のように全国大会出場や優勝を目標に掲げて活動していた。まったく未経験でラジオドラマを作ったり朗読をしたりしていたけど、全国大会出場は最低ラインだった。

先輩方は「伝統とか気にせずに、やりたいことをやりなよ」と言ってくれたけど、この記録を途絶えさせるわけにはいかない、というプレッシャーはすごかった。

結局最後の大会で私個人の朗読で全国大会には行けなくてめちゃくちゃ悔しかったけど、半年くらい引きずったけど、最初はグズグズで箸にも棒にもかからなかったし最初はやりたいと思ってなかった朗読だけど、途中から楽しくなって全道大会で入賞できるくらいにはなった。


両方の立場を経験してみて思うこと。

これらの経験から考えると、わたしが高い目標を持って努力できるのは圧倒的に、強くて、伝統があって、守るものがあって、プレッシャーのある環境だった。

こんな2つの経験から一般化するのは見当違いに見えるかもしれないけど、そのほかの小さな経験をとっても期待されていることは頑張れるし、期待されていないことは途中で諦めてしまうことが多かった。周りのレベルが高ければ追いつこうと努力するし、そうでなければ周りに合わせてそれなりにこなすことが多かった。

でもかと言って逆境の中で頑張れないわけではないとも思っていて、自分の中に何かをやりたいという気持ちが芽生えたのなら、数人でも味方を作って期待されている状況を創り出すことはできる。

だから、なりたい自分になるために、自分の努力の源泉を認識した上で環境を選んでいく(創っていく)ことは、これからもっとうまくなりたい。

甲子園からはかなり飛躍したけれど、そんなことを考えた日でした。

#平成最後の夏  

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