言の葉の庭バナー_2

梅雨になると思い出す、この世界を生きる他人の物語のこと

『君の名は。』が大ヒットして一躍有名になったけれど、私が初めて観た新海誠監督の映画は『言の葉の庭』だった。公開されたのは2013年。高校2年のときで、父に連れられて札幌シネマフロンティアへ行った。

当時はそれほど映画好きでもなんでもなくて、テレビで放送されたら見ればいいじゃん、なんて思っていたほどだった。だから映画を見るとしたら、ほとんどこうして誰かに連れて来られるときくらいだった。

この作品の上映時間は、46分間。

16歳の私は映し出される風景に一瞬で心奪われ、エンディングに秦基博の『rain』が流れる間ずっと、この時間が終わってほしくないと思っていた。それは、このストーリーの続きが観たいとかそういう感情ではなくて、ただこのスクリーンに映し出される、この世界の景色をずっと見ていたいという気持ちだったように思う。

それからずっと、梅雨の時期になると思い出す、大切な作品のひとつになっている。

『言の葉の庭』はこんな話だ。

靴職人を目指す高校生・タカオは、雨の朝は決まって学校をさぼり、公園の日本庭園で靴のスケッチを描いていた。ある日、タカオは、ひとり缶ビールを飲む謎めいた年上の女性・ユキノと出会う。ふたりは約束もないまま雨の日だけの逢瀬を重ねるようになり、次第に心を通わせていく。居場所を見失ってしまったというユキノに、彼女がもっと歩きたくなるような靴を作りたいと願うタカオ。六月の空のように物憂げに揺れ動く、互いの思いをよそに梅雨は明けようとしていた。(公式ホームページより)

(公式ホームページのスクリーンショット)

謎めいた女性とか、逢瀬とか、心を通わせるとか、なんだかドラマチックな言葉が並んでいるけれど、この映画には

愛よりも昔、"孤悲" のものがたり。

というコピーがある。

「孤り(ひとり)悲しむ」と書いて、「孤悲(こい)」。新海監督は古典からの引用をよくするが、これも『万葉集』なんかに見られる言葉らしい。

このコピーの通り、この作品は2人の恋愛の物語のようでいて、タカオとユキノという、「1人」と「1人」がそれぞれの道を歩いていく、個人の物語だ。それぞれの人生がたまたま一瞬交わったけれど、その一瞬が過ぎた後も日常は続いていく。映画の中では何も解決しないし、完結しない。

この映画の魅力は、そこにあるのだと思う。

確かに起承転結はあるし2人の関係性も変化するけれど、広い、広い世界があって、その中でちっぽけな2人がなんとか毎日を生きている、それだけ。最後に2人は幸せになるわけでも不幸になるわけでもなく、この46分間は日常と地続きで、この先また雨が降れば晴れもするし、地球は回り続ける。

いくら悩んでたって、苦しんでたって、世界はそこに変わらない姿で存在して、自分が生きているということに少しの確かさを与えてくれることを知る。

新宿という場所を舞台に日常を丁寧に丁寧に描いていて、雨の日に新宿御苑へ行けば2人に会えるんじゃないかと思うくらいに、これは、私たちが住む世界で紡がれている他人の物語だった。

新海誠監督の手にかかると、何気ない日常に魔法がかかる。その力はもう、多くの人が知ってるだろう。

『言の葉の庭』の雨と木々の描写は、北海道で育ち、梅雨を知らない私がその季節に憧れを覚えるくらいには、美しかった。

タカオとユキノの2人には、世界がこう見えてるのだろうか。その繊細な感受性ゆえに、少し傷つきやすかったり、いろんなことを考えすぎてしまったりするのだろう。この映画を通して教えてもらった世界の美しさを、いつまでも心に持っておきたい。

悲しくなるわけでも、元気がもらえるわけでも、笑えるわけでもない。ただそこにある風景が、少し寂しい時、切ない時、苦しい時にそっと寄り添って、生きてることを、自分なりにもがいてることを肯定してくれる。おぼつかない足取りでも、歩いていることを肯定してくれる。

私にとって『言の葉の庭』は、そうやって、日常に溶け込んでいく映画なのだ。


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