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映画『妖怪大戦争ガーディアンズ』レビュー

【北村一輝の濃さ90点、杉崎花の目力90点でトータル100点の理由とは】

 1度は見ても2度は見なくて十分という映画があるけれど、その言を借りるなら『妖怪大戦争ガーディアンズ』は1度すら見たくなかった映画と言えるかもしれない。点数をつけるならマイナス80点。感情を添えづらいシナリオ、とりわけ大魔神のリスペクトを欠いた取り扱いに、いくら妖怪に扮した役者たちが奮闘していたといっても、一切の同情が起こらない。OLMによる特撮にも、頑張ったねとかける元気が出てこない。

 ただし、そこに北村一輝という濃さでいうなら当代随一の役者による濃すぎる演技が90点分乗り、さらに杉咲花という女優の仮面によって抑制された顔からのぞく目の輝きと口元の凛とした神々しさが90点分乗って、トータルで100点といった点は与えられる。大沢たかおの朗々とした歌声も20点分あるから都合120点をあげても良い。そんな映画だ。

 日本列島を分断していた海峡が埋まって出来たのがフォッサマグナだという説を入れ、その際に地面の中に取り残されることになった魚介類が化石になりつつ海への思いを募らせた挙げ句、怨念となって集まり妖怪獣を形作って地上に現れ、ゴロゴロと海に向かって動き出した。

 そこは良い。だったらどうしてより近い日本海に向かわないのかというと、どうやら関東に眠る“あの方”の差し金だという。誰だよ“あの方”って。平将門か何かか? 同じ三池崇史監督による前作『妖怪大戦争』で復活した加藤保憲が帰依するならばそんな可能性も浮かぶけど、いずれにしても東京に向かってゴロゴロと転がり始めた妖怪獣が、途中の街々を破壊して回っているにもかかわらず、政府なり自衛隊が出動をしたようには見えないところがどうにも謎めく。

 どうやら所沢あたりまでやって来たあたりでこれは拙いと日本の妖怪たちが立ち上がり、渡辺綱の子孫を探してやっつけてもらおうとしたというのがイントロダクション。そこで白羽の矢が当たったのが渡辺兄という少年だけど、いたって普通の少年だけに怖いことは苦手で臆していたものの、弟が巻き込まれてこれは大変となって勇気を振り絞り、狐の面を被った杉崎花演じる女の叱咤を受けて立ち上がる。

 そんな2人に絡むのが天邪鬼。言うことやることすべて本心の逆というのが設定だけれど、ところどころで本心ダダ漏れになったりする揺れ具合が人間っぽいといえばいえるけれど、妖怪が人間っぽくてどうするんだという話もあるだけに悩ましい。たとえ天邪鬼でも兄のまっすぐさと優しさになびくというならそれはありかもしれないけれど、ぶれぶれのキャラクターのいつどこで心を開いたのかが分かりづらいからそこはキッチリして欲しかった。

 一方で妖怪たちは止まらない妖怪獣を阻止すべく、兄の弟を半ば生け贄に差し出す用意して武神さまこと大魔神の復活を目論む。それは半ば成功するけれども過去、村人たちが権力者によって虐げられた果てに命を捧げて頼んでようやく動き出しては、権力者たちを粉砕するところに大魔神という存在の醍醐味があって、だからこそ畏怖の念を抱けた。

 それが『妖怪大戦争ガーディアンズ』では子供のちょろい頼みで動き出した挙げ句、妖怪獣の前で変顔をして立ち止まってしまうだらしなさ。観たかった大魔神像に及ばない軟弱さに愕然としてしまう。人間が中に入って歩いたからこその重量感も、CGでは思うように出ておらず怒りの表情にも火が燃えているだけで怒りのまなざしといったものが感じられない。

 人間が入って睨めば良かったというのではない。CGでだって描けただろうそれだけの感情をまるで描こうとしていないのが悔しいのだ。かつて徳間康快が大魔神を復活させるとラッパを吹き鳴らした時は、メキシコを舞台に撮ってケビン・コスナーを出すと息巻いて夢を感じさせてくれた.筒井康隆が脚本を書くと聞いた時にはどれだけ異色の大魔神が出てくるのかとワクワクした。

 そんな期待を抱かせておきながら大映の後を引き取ったKADOKAWAが出してきたのがこれというのはどういうことか。所沢あたりで立ち止まらせて大騒ぎをさせたのも所沢に縁があるからといった発想なら、私物化も甚だしいと言わざるを得ない。

 ラスト近く、海の生物たちの怨念が凝り固まった妖怪獣が慰撫されて往生する時に、どうして海とは縁もゆかりもない植物の桜になるのか分からないと言えば分からないけれど、所沢に桜と縁のある場所があると思い出したらなるほどと思いつつ、それで良いのかとも訝ってしまった。ちょっとやり過ぎだよあなたたち。

 そんな引っかかりが最後までつきまとって没入できなかった『妖怪大戦争ガーディアン』でも渡辺綱の濃い顔と狐面の女の目力だけはとても良かった。それだけを観る価値があった映画だけれどそれ以上となると言葉を言いよどむ。あるいは2度目を見れば違う角度から良さを感じ取れるかも知れないけれど、そこへと至るまでの道はちょっと通そう。せめて次があると分かったなら、予習も含めて見返す日が来るかも知れない。

 それまでは心のフォッサマグナに押し込めておこう。もやもやとした気持ちが妖怪獣にならないように気をつけながら。(タニグチリウイチ)

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