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映画『君は彼方』レビュー

【繰り出される展開と浴びせられる情報に心を池袋から彼方へと飛ばされた】

 『君は彼方』という長編アニメーション映画を見て思ったことがある。どうしてこの企画が成立したのだろうか。しばらく前から池袋界隈にポスターが飾られ、池袋から発着している西武鉄道が沿線にもポスターが貼られ、池袋の雑踏にもフラッグなどがつり下げられては街を挙げて盛り上げようとしている。

 豊島区もどうやら協力をしている様子。そこにお金が絡んでいるかは不明だが、サイトに作品名を挙げて支援しているのはすなわち一種のPRであり、金銭にも置き換えられる効果が発生するという意味で一種の利益供与にもあたる。だからこそ企画に対して説明責任も生じるのでは無いかと思うのだ。

 その企画の中心にいるのが瀬名快伸という人物で、『君の彼方』では監督にしてプロデューサーで脚本も書き声優としても活躍しているという。音響監督も手がけていたか。それほどまでにマルチな才能が、どうしてこれまで自分の眼にも触れず耳にも聞こえてこなかったのか。おそらくたぶん自分の意識が別の次元に行ってしまっていたからかもしれない。『君は彼方』にも描かれていたシチュエーションのように。

 『君は彼方』にはご当地ということで池袋が頻繁に登場する。TOHOシネマズ池袋も出れば近隣の商店街も出るし、雑司ヶ谷の鬼子母神も都電荒川線も出る。できたばかりの再建版トキワ荘まで出てしまから豊島区も大喜びのはず。だかこその協力なのかもしれないが、そんな映画で主人公たちの鍵となる場所がサンシャイン水族館でもなければ巣鴨プリズン跡地でもなく、池袋ウエストゲートパークでもないどこかの岬の突端というのが解せない。

 池袋が総出で応援した甲斐もないじゃないかと思わないでもなかったが、それはきっとどこかを出せばどこかに筋が通らないからと配慮したに違いない。自分はこうしたいからこすうるんだと主張を貫くことの難しさを、訴えていた映画をそれはある意味で象徴しているように見えなくもない。

 ストーリーについては、まだ公開されて間もないこともあって多くを語らない。できれば自分の見てその目でどういう映画かを確かめて欲しいからでもある。見ればきっと誰もが彼方に気持ちを飛ばされるだろう。それだけは確実だ。

 それでも簡単に言うなら、幼馴染の男子がいて好きらしいけど好きだと言われて好きだと言えないでいるうちに、いっしょに遊んでいた友達の女子が彼を好きだと言い始めたりして応援するよと言いつつ、後悔もしてモヤモヤとしているうちにぎくしゃくしはじめ喧嘩して、謝らなきゃと焦る気持ちが起こしたひとつの事件が起こる。

 そこから始まる物語の先には、山寺宏一と大谷育江が入れ替わるように声をあてるマスコットがいたり、ファンタジー作品に登場するような長髪の美形でありながらも声が野太い竹中直人という男がいたりと、実に挑戦的な配役がなされている。土屋アンナに夏木マリまで登場するからいったいどれだけゴージャスなんだと思わせる。

 その絵は果たして精鋭なのかの、確か9人くらいで原画を描いておらず第二原画も6人ほどだっただろうか。それだけで95分もの長編アニメーション映画を作ってしまったのだから、仕事としても、そして完成した映像としても挑戦的なものがあった。シンプルでソリッドなその絵は、想像するなら演技に長けたゴージャスな声優陣の演技を引き立てるために、あえてそうされたのだろう。

 山寺宏一や大谷育江の他にも、早見沙織や小倉唯といったプロの声優たちがいるが、メインどころとなる女優や俳優に関して言うなら松本穂香はやはりうまかった。女優としても圧倒的な演技を見せるだけあって、声の演技にしっかり感情が入っていた。

 入りすぎていて泣いたり叫んだりするシーンの耳に刺さるような、脳天を揺さぶられるような感じがすさまじかった。それが平たい顔をした女子のキャラクターから聞こえてくるとなるという、なかなかに得難い経験をさせてくれる。松本穂香のファンは絶対に見るべきだ。

 イケメンの幼馴染を演じる瀬戸利樹については、普通はうまいが泣きながらしゃべるところはもうすこし頑張って欲しかった。これで脚本と展開がもう少しだけ整理されていたら、すっきりとメッセージも入ってきたかもしれない。素直になること。自分を貫くこと。そんな意思の大切さを体現する主人公の澪という少女が、映画ではどうして新という男子が好きなのに告白できないでいるのかが、最初はなかなかつかめない。想像はついてもそうとは限らない可能性もあって、いささか情緒不安定に見えてしまう。

 新についても、占い師を尋ねるあたりで不穏な態度を見せ始めていて、それが唐突な異能に結びつき、なおかつ冒頭のビジョンへとフィードバックされて、家族にまつわる悲運めいたエピソードが浮かんでくるから、気持ちを少し整える必要がある。すでにたくさんある設定がさらに盛られているという意味で、足りない脳が溢れてしまうところがあって追いつかない。いささか高度過ぎる。浅薄なり若輩への配慮が欲しかった。

 池袋をフィーチャーしながらもラストシーンは違う場所というのも気になった。どうして池袋にしたかったのか。プロダクトプレースメントを意識したように、これでもかと池袋にまつわる風景を出しておいて、感動的なシーンを池袋以外にするのは、多々ある場所への配慮にしてもやはり気になった。池袋に行こうと気にさせるなら、あえて選んででも池袋のどこかにするべきだった。

 そうした、ちぐはぐでズレていると感じた部分を整えることによって、シュっとした映画になりそうな気がしないでもない。再編集をすればわかりやすさも増して、ストレートに思いも伝わったのではないか。

 などと思いつつ、目覚めたらそこはTOHOシネマズ池袋のシートの上。心が彼方に行っていたようだ。立ち上がって外に出て、見上げると池袋の空に流れる雲間に月。(タニグチリウイチ)


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