涙腺

全然書こうと思っていたことと関係がないけれど、「涙腺」という漢字は美しいなと思った、いま、唐突に。

5年ぶりに、友人にあった。今日会う前に、いつ最後に会ったんだっけ?と考えて記憶を辿った結果が5年だった。向こうも同じように考えていたみたいで、会った瞬間に「5年ぶりくらい?久しぶり」と言われた。たぶん、彼も記憶を辿っていたのだと思う。

記憶を辿って、同じ記憶にたどり着いていたことがなぜだか可笑しくて、嬉しくて、それだけで今日会ったことに満足してしまう。何年も前の記憶を共有している人がいるのだと、それは当たり前のことではあるかもしれないけれど、不意に目の前に立ち現れるととても嬉しくなる。

共有の記憶としてその瞬間があったということは、お互いの存在の証明だ。

彼は、まっすぐに人と向き合う道を進んだ。私は途中で人そのものを知る道に進んだ。それは近いようでいて、すごく遠い。

職業柄、彼は沢山の人の悩みを聞く。感情を渡さないように、彼の言葉を借りるなら「人間味があるようでいて、実は全くない」仕事。それでも、やっぱり人の心を受けるのだから、切実な思いに感情が変化しないわけがない。面談が終わった後に涙を拭くこともあるそうだ。

その場では私相手に面白おかしく話してくれるけれど、実際には感情は天も地もなく振り回されるのだから生易しいことではない。その状況のなかで自分の立っている場所を見失わないということは並大抵ではない。もう、学生ではなくプロだった。

その切り分けが無理だと思って、私は早々にこの道を辞めた。彼はその仕事につき、「それでもおもしろい」と言う。まぶしく、そう言ってしまえる人が友人としていることを嬉しく思う。

創作をしながら病んでいく人たちも彼のもとを訪れる。
「どうしてそうまでして自分を傷つけてまで創作をするんだ?」と彼は言う。
「傷こそが創作の源だからじゃないかな、その傷を見つめ続けて、そこから言葉や色を見つけていくしかない人達はいるよ」
「何だそれ変態じゃん」
と彼は清々しく優しく笑って一蹴する。そういう人たちに心を移してしまわないように、と慎重になりながらも寄り添おうとする友人のことをすきだと思う。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

ありがとうございます。読んでいただけてほんとうに嬉しい。
4

toki_t

永遠癖の夢

考えていることを書くことにしました。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。