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テレビのナレーションが嫌いで番組のほとんどを飛ばしてしまうけど、それって病気?

※ タイトル画像は、Gemini に作ってもらったもの。あいかわらずの気持ち悪さよ。

ナレーションが嫌いだ。
考えたら、散歩のじいさんが持っているラジオから流れる音楽も嫌いだ。演歌なんか流れてきたら最悪だ。
公園で楽器を演奏するのもやめてくれと思う。そんな音楽を聴きたい気分ではない。
山できれいな空気を満喫しているとタバコの匂いがしてくる。良い気分が台無しである。

なぜ不快に思うのか。

そのときの気分を壊してくるからだと思う。

自分は、何者かによって、または何物かによって、気分を壊されるのが嫌いだ。

ナレーションが嫌い

ナレーターが嫌いだ。ナレーションも嫌いだ。

テレビなんかみなければ良いだろうということだが、まだ見ている。しかし自分の意思で見ているのは、テレビ東京の朝のニュース番組くらい。

https://www.tv-tokyo.co.jp/nms/

Newsモーニングサテライト。録画して見ている。

ナレーターが喋るコーナーは、ナレーターの喋り方が嫌いなので、見ない。60倍速で飛ばしてしまう。
日経朝特急プラスというコーナーもある。ナレーターではないが、専門家とか有識者が偉そうに解説するコーナーである。
ナレーターにしろ専門家や解説者にしろ、もっともらしく話すのが嫌いだ。落ちいた口調だったり、強い口調だったり、重い喋り方だったり、喋り方によって騙されるのではないかと思うので、聴きたくないのである。

ついでに言うとパックンも嫌い。偉そうだから。パックンがコロナ脳とわかったので、嫌いになった。

ついでのついでに言うと、一部のキャスターも嫌いだ。
池谷キャスター。テレビ東京チーフコメンテーター。嫌いとだけ言っておこう。
中垣キャスターも嫌い。喋り方が嫌。

話がずれてきた。

ナレーションが嫌いで見るところが減ってしまったのに加えて、最近、上に挙げた2人のキャスターも嫌いなので、さらに見るところがない状態。ということを言いたかったので、直接関係のないことも述べた。

モーニングサテライトを見るのをやめるか、考え中。

なぜナレーションが嫌いなのか

考えてみた。

そういうこと。

「声は心を動かす」

声で人を操れるということにつながるな。

自分の場合、「その声には騙されないぞ。」という拒否反応が起きる。
ナレーターの喋り、特にキャリアを積んだ誰もが認めるであろうナレーターの喋りは危険である。
テレビ番組なんて、適当に取材してでっちあげただろう、って思うものもある。映像が撮れていないのである。しかしそこにしっかりとした信頼できそうなナレーターの声をかぶせると、言っていることを間に受けてしまうのだ。いやいや違うでしょうと思って、映像を見る。全然そんなことはなかったりする。
テレビは嘘つきだなあって思うのだ。
騙されまいと抵抗する気持ちから、ナレーションが嫌いになったのだろう。

そして、そんなテレビも嫌いになった。

数か月前、友近がナレーションを担当した番組を見た。友近臭ともちかしゅうがしたらいやだなと思ったら、全然そんなことはなく、普通に聞けるナレーションだった。あれは良いと思った。それに比べて、世の本職のナレーターたちのナレーションは一体なんなんだろう。

キャリアが嫌いなのか

自分は、キャリアのあるナレーターが嫌いなのかもしれないと思う。
大体、中高年。
中高年のナレーターって、なんか偉そうだったり、無駄に重々しかったり、歯切れが悪かったりする。それがいやなんだろうと思う。声質もかな。

若者が老人を老害とかいって毛嫌いしているのを見聞きして残念に思っていた俺だが、そんな自分も老人を嫌っているのだった。

※ 高齢者全般ではなく、あくまでも「老人」。年齢ではなく、老いた人ということ。こう言っておかないと、老化には個人差があるので、、、

なぜ嫌いなのかは説明できない

嫌いなもの、または、好きなものでも良い。それをなぜそう思うのかは、説明できないと思う。
スイーツが好き、なぜなら甘いから、じゃあなぜ甘いのが好きなのか、どんどん掘り下げていくと説明できないところに行き着くだろう。その先にあるのは、本能とか遺伝子とか。
そんな感じで、説明できないものだと思っている。
なにもそこまで掘り下げなくても、、、と言うかもしれない。
この記事で嫌い嫌いと述べたことの言い訳をしたいのである。自分では理由がわからないから、嫌いと言ったことを仕方のないこととして許してもらいたいと思うのである。

どんなナレーターが嫌いか

坂口哲夫という名前のメモが出てきた。
嫌いなナレーターということでメモしたのだろう。
もうよく覚えていないので、おそるおそる確認してみる。
この人の声は所属プロダクションのサイトで聞くことができる。

これは、やっぱダメだ。

大塚芳忠という名前もメモしてあった。
へえ、おおつかほうちゅう、と読むのか。
こちらでボイスサンプルを聞くことができる。

この人のナレーションは、世界ふしぎ発見!で聞いたのだろうか。
いや、ダメだな。

ネットで「嫌いなナレーター」を検索するとそれなりの件数がヒットするが、自分の場合は、巷で嫌われているナレーターはもちろんのこと、一般に良いナレーターと考えられているであろう人たちでさえ嫌いなのだ。

もはや病的。

なんでもかんでも病気にするのは良くないとは思うが、個人名を挙げて嫌い嫌いと言ってしまったので、避難されるのを回避するために、ここは、病気だということにしておこう。

免罪符!

散歩のじいさんが持っているラジオから流れる音楽が嫌い

ナレーターやナレーション以外にも嫌いなものがある。

散歩のじいさんは、ラジオを聴きながら歩いていることがある。じいさんが聞く番組だから、流す曲は演歌だったりする。演歌、聴きたくねえ、って思う。なぜイヤフォンで聞かないのだろう。
また、近郊の低山を歩いていると、ラジオが聞こえてくる。平地の散歩と違い、熊よけを目的として音を出している可能性がある。だから、音を出すこと自体は否定できないと思う。でも、演歌は勘弁してもらいたい。

そんな気分ではない。

公園で何か演奏しているのを聞かされるのが嫌い

まあ、いろんな人が利用する都市公園であれば、ギターを演奏したり笛を吹いたりというのはあるのだろう。
昔、森林公園で毎週末、笛の練習をする人がいた。休みの日にそこにいくと、決まった時間にやってきて笛の練習をするのである。小一時間。行けば必ずピーヒャラピーピャらやっているので、管理事務所にクレームを言おうと思ったほどだ。毎週毎週休むことなくやってきたので、「あんたの公園か!!?」って言ってやろうかなとも思ったがやめた。
打楽器をたたくやつらがいたこともあったな。そのときは、流石に近くに行かないようにしたものだった。
最近、どちらもいなくなったようなので、ほっとしている。

曲なんか聴きたい気分じゃないんだって。

職場で雑談を聞かされるのが嫌い

その職場は、息抜きに雑談することは大めに見られていた。
定時で帰りたくて、業務効率を最大限に上げてテキパキと仕事を片付けようと血眼でやっているときに聞こえてくる雑談の声。
音声だから、聴きたくなくても耳に入ってくる。で、一人、よく雑談するひとがいて、そのひとの話す内容がくっだらないことばかり。
あまりのくだらなさに、仕事を頑張ろうって気分が萎んでしまう。
他人の雑談の内容によってやる気が削がれてしまうのだ。

もう少し高尚な話をしてくれないかと思う。

気分を害されることが嫌い

多かれ少なかれ誰にもそういうところがあると思うが、自分の場合、それが極端なのかもしれない。

きっと病気なのだ。

t.koba

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