_27A7926のコピー

25歳、夢をあきらめる

 夢を諦めるってどういうことか、いつか忘れてしまう前に書き留めたかった。
 この世が終わるような気がしたし、死んじゃいそうなくらい涙が出た。なにより、私はこんなにも苦しいのに、世界は何も変わらないことが絶望的に悲しい。体が半分なくなった。夢を失うことは、瀕死の大失恋だ。

 「ファッションモデルになりたい」というのが、大学生の頃、上京したての私の「夢」だった。ある意味でそれは叶ったし、叶わなかったともいえる。夢半ばで諦めたというのが、きっと一番近い表現だ。

 noteには、いつもあえて書かなくていいことを書いてしまう。書かずにいられなくなることは、いつも誰に見せる必要のないことばっかりだ。
 でも、これだけはどうしても。人生で1番大切だったものを、わたしは今年、ついに手放した。

 今、私の仕事はライターと編集者だ。昨年、編集アシスタントをやめて、ライターを始めた時は、「モデル/ライター」と名乗っていた。
 私にとって、モデルはちゃんとプロの仕事ができるけど、ライターの仕事は「始めてみました」という域。それがいつの間にか、比重が逆転して、「モデルもやってます」になっていた。

 大学上京組だった私は、東京に出てくれば、すんなり事務所が決まって、すぐに仕事ができるとおもっていたし、事務所が決まるということは、プロのモデルになることだとおもっていた。私が思い描いていた「プロ」というのは、その道で生計が立つ人のことだ。

 モデル志望の大学生だった私に、ハーフのメンズモデルが言った。

「君、大学生なんでしょ? 勉強できて、ちゃんと大学入れるなら、絶対就職したほうがいいじゃん。モデルってなりたくてなるものじゃないよ。俺は稼げるからこの仕事やってるだけ」

 正論で、とても意地悪だ。でも、わたしは私がやりたいことをやりたかった。恥ずかしくない範囲で。あの頃、私はあらゆる予防線を張りまくり、超保守的だった。(たぶん『AV文字起こし』の企画なんて受けられなかっただろう。今、その反動がきているとしか思えない)
 大学生になったのは、人生に保険をかけたから。日本女子大学に入ったのは、体裁が保てるレベルの学校だと思ったから。どうしても恥をかきたくない私にとって人生で初めて「どうしてもやりたいこと」で、自分なりに思い切って行動に移せたことだった。

 「モデルになりたい」と口にするのは、結構、かなり、はずかしかった。だって、なれないかもしれないから。なれなかったら、めちゃくちゃ、恥ずかしいから。
 永遠に感じた事務所が決まらない2年間。心無い同級生男子からコンテンツにされて、すごく嫌な思いもした。面白くはないが、ネタとして使うのにちょうどいいこともわかる。人は人の承認欲求や自意識に敏感だ。「あの子自分のこと可愛いと思ってるよね」が、鉄板の悪口になる世界。ほっといてやれよ。でもそうはいかない。それもわかるよ。

 当時から、「夢」という言葉が嫌いだった。
 「夢」ってとても曖昧で、「夢があっていいね」というセリフには、「夢見がち」というニュアンスが強くてバカにされた気がするから。たぶん、そういうニュアンスが、多かれ少なかれ含まれているから。

 大学を卒業するころ、私はお世話になった事務所を辞めた。中堅の、いい事務所だったと思うけど、マネージャーとどうしてもうまくいかなかった。
(ちなみにマネージャーは私が辞めた翌月、異業種転職して飛んだ。だから、この決断が人生の転機としていいことだったのかよくわからない。後悔はしてないからよかったのかな。やな奴がいても、続けた者勝ちだなと強くおもった)

 次の事務所は、大手でも少人数精鋭型でも、とにかく私にとって最高のマネージャーと出会うんだ。この人と仕事をして、ダメだったらもうダメだ!と思えるくらい。そんな二人三脚で仕事ができるマネージャーと出会えたら、それでダメだったら、私は悔いなくこの芸能という場所から足が洗える。そう思っていた。

 そのゴールには、たどり着けなかった。

 モデルをしつつ、事務所をやめてから始めたお芝居のレッスンを受けつつ、ライターとして、ふんわり仕事を始めた1年前。それから、レッスンをやめて、なんとなくライター仕事が増えて、今年に入って、私はもう収入的にも生活的にも、モデルじゃなくてライターだった。

 気づいてしまった。
 なんのコネがなくても、ちゃんと繋がっていく時は繋がるんだと。

 私はモデルもお芝居も一生懸命だったけど、どうしても先へ先へと繋がらなかった。それは事務所に入っていなかったから? そんなことない。フリーランスでもどんどん仕事が決まるモデルはたくさんいることを私は知っている。

 私は「モデル」に向いていないのかもしれない。
 たったそれだけのことを、私はどうしても認めたくなくて、考えたくなくて、「モデルもやってます」ってふんわり言い続けていた。だって、私がそう名乗り続けさえすれば、私は永遠にモデルで居られるから。一生夢を見ていられるから。

 いつの間にか、目標だったものが夢になっていることに気づいた。夢っていう言葉は嫌いだ。叶えるものじゃないから。

 私にとってモデルやお芝居で食べていくことは、すっかり夢になってしまっていた。もうその未来はなんとなくしか思い描けない。ずっとずっと自分の中で1番だったものが薄れていた。ずっと1番なのが当たり前だったから、その変化に気づけなかった。大失恋だ。人生で1番大切だったものを私はいつの間にか失っていた。私はもう、あの頃と同じ熱量で、モデルとして、女優としての将来や、やりたいことが語れない。

 ライターの仕事はすごく楽しかった。編集として、企画を考えたり、取材を打診したり、やればやるほど手応えがあった。頑張っていたら、周りが仕事を振ってくれるようになった。全然ダメって言われる時もあるけど、なんでなのか丁寧に教えてもらえた。それは糧になる。やったらやっただけ結果が出るように感じた。ビギナーズハイ。それはわかってる。だけど、私はいま、ライターをこのまま頑張れば、正しく伸びていける。そう思える環境にいた。

 今、自分が「モデル」であると主張する意味はあるのか? どこにもなかった。

 「モデル」を辞めよう。それがいい。そう決めた私の生活は、恐ろしいほど何も変わらない。SNSの肩書きから、そっとその文字を消して、それで終わり。あっけなかった。叶わない夢は一瞬で消えた。
 ただ擦り切れた夢を失いたくないだけだった自分に気づいて、久しぶりに死んじゃいそうなくらい泣いた。

 モデルの私はいつも苦しかった。変わることがこわくて、髪も切れなかったし、眉毛も触りたくないし、セルフメイクもしたくなかった。自分にとってのベストがわからないから、いじるのがこわい。前の方がよかったって言われたら? 変な呪縛。

 ままならないことばかりだ。努力が報われるわけじゃないけど、努力しないとお話にならない。でもぜんぶ私がやりたくてやってる。ダイエットが苦しいならやめればいい。誰にも強制されていない。苦しくて、つらくて、でも、仕事を獲得した瞬間。カメラの前に立つ高揚感。あの一瞬がすべてをぶっ飛ばしていく。あの快感は麻薬だ。
 上手に笑顔が作れる。ポーズと表情をシャッター音で変えられる。洋服を綺麗に見せるポーズが取れる。当たり前を積み重ねて、私は、わたしじゃないといけない仕事なんて何一つとしてないと知った。同じレベルのモデルを呼べばいい。私じゃないとできないものはあるけど、私じゃないと成立しないものなんて何もない。だから、自分のために苦しんだ。苦しさも全部含めて、私はモデルの仕事が好きだった。全部嫌になるくらい心臓が痛い時も、その痛みが「好き」の大きさなんだと思っていた。

 辞めると決めたら、死にそうなくらい寂しくて、だって、今までの私はなんだったんだろう。夢を諦めるということは、半身をもぎられたように痛い。モデルという仕事は私にとって人生でたった1つの目標で、夢で、20代前半のすべてだった。あんなに必死になったこと他にはなかった。夢を持つことができて、それを全力で追うことができて、幸福だった。

 だから苦しさだけになる前に、もぎってしまってよかったのかもしれない。
 今、わたしの体はかるい。もう言い訳はなにもできない。これからも被写体の仕事をするかもしれない。ライフワークの妄想エッセイで、ZINEを作る時はやっぱり私がモデルになると思う。でも、「たまにちょっとモデルをやる」のと、「モデルでありつづけること」は全く違う。
 はたから見たら、なにも変わらないのかもしれない。でも、私は一人のライターであり、編集者なのだ。25歳、髪を切った。お化粧が楽しいことに気づいた。2回目の社会人1年目。夢を諦めて、わたしはようやく大人になった。つもりでいる。

(2019/06/19 追記:想像を超えていろんな方に読んでいただき、思うところあって後日談です。)


この記事が参加している募集

シュークリームはいつでも私に優しいので、おいしいシュークリームを買うお金にします。あなたもきっとシュークリームを買った方が幸せになれます。