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ミスiDは私のためにあるのか

今年もミスiDにエントリーしてしまった。

どうしてもこうありたかったことが、年々どうでもよくなる。年々バカらしくなる。忘れることが怖くなくなってしまったことにゾッとする。わたしの長すぎた思春期は、きっとようやく終わろうとしているのだ。

それはとても自由で、素晴らしいことだけど、あの場からずっと動けなかったわたしを、私は忘れたくない。立ち止まっていた時間を無駄とは言いたくない。どんなに遠回りしていても、これが私にとって最短ルートの人生だ。それは変えようがない。

ミスiDという舞台は、一番大切だったものたちと引き換えにしないと上れなかったのかもしれない。

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ミスiDはまだ私がモデル・女優を肩書きに担いでいたころ、2回は書類落ちしたオーディションだ。去年は、なにかしなきゃという気持ちになると、夜な夜なオーディションを探していた。

今、私の職業はライターと編集者だ。もういろんなところで何回も言ってる。
インターネットの大波に宣言したし、生涯最後のミスコンへのエントリーは、やりたいジャンル「その他」にチェック。上記の職を記入した。モデル、女優はノーチェック。5月当時の私は苦しくて震えた。

そして忘れた頃に書類審査通過のお知らせが届いた。

かつて わたしのためにある、と信じて手に入らなかったものがたくさんあった。品定めされる息苦しさ。審査員が顔を上げない日の絶望。わかっていても何度でも舞台に立ってしまう。(何度でもいうけど、不合格と失恋は同じくらい心臓が痛い。)

動画を回すカメラテストで、だだっ広いスタジオに入った。白くてゴツいチャンキーヒールで足が重たい。そうだ、これがオーディションだ。

私にぜんぜん興味なさそうな審査員たちを前にしたとき、恐怖よりも「全員こっち向かせてやる」って気持ちが膨らんで、でも身体は震えた。あの衝動は久しぶりに感じた本能だった。

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若い女の子たちの話を、若い女であるうちにたくさん聞きたい。それが今の私のやりたいことだ。ざらついた感覚がまだ残っている、今の私にしかできないこと。

カメラテストでも主張した。ミスiDの女の子たちのインタビュー企画がやりたい。誰よりはやく青田買いもしたい。

同じ白い空間で、どのレンズに目線を合わせるのかわからないまま、審査員の前に立った。自分のなにを評価されて、そこにいるのかわからないまま早口に自己紹介をした。あのとき、300人はそれぞれ何を思っていたのか。

私は誰よりも近くから彼女たちに取材ができる。最後まで一緒に走りたい。

ミスiD2020のキャッチコピーは「世界はひとつじゃない ルールも 常識も 女の子も」。 

それなら私も、もうひとつの世界で一番だと思いたい。この方向転換は間違ってなかったって思わせてほしい、とはもう言わない。

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今年のミスiDは、私にとって、わたしのためにある。私はそう思うことにする。自分で人生の舵を切るために。

(追記 おかげさまでセミファイナリストになりました。2019.08.01)

(追記 ファイナリストになりました。2019.09.30)


シュークリームはいつでも私に優しいので、おいしいシュークリームを買うお金にします。あなたもきっとシュークリームを買った方が幸せになれます。