小さなこと

あのアーティストの離婚について私はモヤモヤしていた。ただでさえ高齢、その上に不妊率の高い婦人科疾患を抱えながら妊娠に挑むという報道を見たときからいやな予感がした。普通に考えて無理やん…。
だから復帰が決まったときに他人事ながらホッとしてしまった。とにかく彼女が不妊治療を終えられることにホッとした。ファンだったことはなくどちらかといえば苦手で、カラオケですら歌ったこともないのに。

今回の報道を聞いてもやっとしたのはお相手のタイミングだ。なんで?ちょっと早すぎない?なんでそんなにすぐなの?もう少し時間を置けなかったの?
私と離婚したわけじゃないのに自分が捨てられたかのような気がした。早すぎない?
その理不尽さがどうにも処理できなくて、報道されている番組を見ながら夫に言ってしまった。「ねえ、これどう思う?」

夫は即座に言った。「小さなことやろ」。

意味がわからなかった。小さなこと?私のモヤモヤが小さなこと?そうかもしれない。でももうちょっと言い方があるんじゃ…と思っているのを見抜かれた。
「あのな、子どものことは小さなことやで」。

よく聞くと怖い話だった。
もちろん夫婦のことはその夫婦にしかわからない。だからあくまでも憶測の域を出ない。その上で。

子どもができるできないは夫婦関係の継続においてほんの小さなことでしかない、というのが夫の意見だ。もっと根本的に、夫婦として続けていけなくなったから離婚に至っただけで子どもがいるいないは後付けの理由でしかない、と言う。二人で生きていくという幹がまずあって、子どもは枝葉だ、その幹が壊れただけの話にしか思えないと。だからこんなに早いタイミングなんだろう。その前からもう気持ちは離れていたと考えるのが自然だろう、と。

とはいえ、どれくらい子どもを持ちたいかは個人差が大きい。私は様々考えて持てなかった。次の人生で母親をやれたらいいなと思っている。そんな程度だ。

しかし欲しくて欲しくてたまらない人もいる。夫との共通の友達の中には熱望して、不妊治療をして子どもを持った子がいる。それなりに高齢で心身ともにボロボロになりながら、そして自分の年収をすべて注ぎ込んで妊娠出産に至った。

夫からすると彼女の生き方も受け入れがたいものがあったらしい。なぜならその友達は夫婦関係が危うかったからだ。子どもを持つことに何かを求めるのでなく、その相手と生きていくのかどうかに向き合う方が先やろと。
お相手のことも知っているので夫の言いたいことはまあ理解できる。

夫と話した後、私は二つの極端な思いを持った。一つは子どもがいない人生でよかったのかと今でも思うことがあるけどそれは私の感傷でしかなく、夫はこれほどに小さなことだと思っているという安堵に似た感情だ。
もう一つは、夫婦で向き合うことをおろそかにして幹が壊れたら、この人は容赦なく自分の気持ちに素直に行動するのだろうという怖れだ。もっとファジーな人だと思っていたので驚いた。
でもそんな人の方が私にはちょうどいいのかもしれない。すぐに自分優先で胡座をかいてしまいがちな私には。


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