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【無料公開】パイサーン師への一問一答~プッタタート師の「仕事というのは修行である」という意味はどういうものですか?〜


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今日も一問一答です。

大切なメッセージなので無料公開にします!


今日はプッタタート師という

タイでは知らない人はいない有名なお坊さまの言葉

その言葉に関するパイサーン師のお答えです。

「仕事というのは、修行である」

シンプルなこの言葉。

この言葉がストンと胸に落ちてくる方も

多いかと思います。


ただ、本当にこの自分の受け取り方でいいの?と迷う相談者。

今日はパイサーン師が丁寧に

解説してくださいます。

あなたの仕事観、どうですか?

参考にしてくださると嬉しいです。


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。。。。。。。。。。

<質問>

パイサーン先生、よろしくお願いします。

プッタタート師の言葉に

「仕事というのは修行である」というものがありますが

私はまだよく意味がわかりません。


仕事をするときにも、修行ができるという意味なのでしょうか?


どうかやさしく説明をお願いします。


<回答>

そのタンマ(法)の意味するところは

広いですね。


あなたが一生懸命に仕事に励んでいること

あるいは、誠実に励んでいるのであれば

もちろんそれも、仕事が修行であるという意味です。


それ以外では

仕事そのものを行うことによって

気づきを高めることができることも意味します。


たとえば、仕事に対する謙虚さがあること。


仕事の成果や目標を心配しないこと。


仕事の見返りや仕事に対する毀誉褒貶に一喜一憂しないこと。


過去や未来のことに思考をうっかりはまり込ませないこと。

あるいは

心配事や気になることに気づきを間に合わせることです。

そして

心を平静にケアしていくこと。

これが修行であるのです。


ですからあなたが皿を洗っている時

掃き掃除をしている時

ごはんを作っている時

布を縫っている時

これらもすべて修行となりえます。


試しに、今やっていることを

心を正しく置きながらやるようにしてみてください。


そして、もう一つ大切な意味とは

もしあなた気づきを高めることに励んでいれば

何も瞑想修行のリトリートをまたなくても

修行はできるということです。


それは、今、この瞬間から実践できます。


家にいようが、職場にいようが

どこでも実践できるのです。

。。。。。。。。。。。。。。

浦崎感想

私は昔、この言葉を聞いたとき

そんなに深く受け止めることはありませんでした。

ただ一生懸命仕事をすることそのものが

修行なのだと思っていました。


しかし私自身、一生懸命仕事をすればするほど

苦しくなっていた頃があり

その時にパイサーン師がこの言葉を引用されるお話を伺って

あー、こういう意味だったのかあ、と

自分の姿勢を省みた記憶があります。


とりわけ難しいのが

仕事に対する成果や目標を心配しないこと。

一生懸命になりすぎている時って、大抵

成果や目標に自分の心が奪われてしまい

今ここで淡々となすべきことが

おそろかになってしまっています。


心配で夜も眠れないほどになると

何か一生懸命になっている気がしますが

それは修行ではないのですね。


今ここの心をケアし、整えることに努める。

その意味で

たとえ他の人から「修行をしている」ように見えなくても

仕事を通して修行に取り組まれている方は

たくさんおられることと思います。


私たちの限られた人生の中で

多くの時間を費やす仕事。


その貴重な時間を修行の時間と

していきたいものですね!

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