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【無料記事】カムキエン師の説法~少しずつ少しずつ、自分自身に力を与えていこう(1)自分自身を感じること、それは「やること」です

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タイ仏教に関する説法を
日々少しずつ訳しています。

今日から訳す説法は
スカトー寺前住職、
故カムキエン・スワンノー師の説法です。

昨日まで訳していたパイサーン師。
そして以前訳していたスティサート師、サンティポン師。
亡くなられたカンポンさん。
そして日本人僧であるプラユキ師。
彼らのお師匠さんです。

30分ほどの説法。

テーマは
「少しずつ少しずつ

 自分自身に力を与えていこう」

最初の部分のタイトルを

「自分自身を感じること、
 それは『やること』です」

としました。

実は私にとっては、以前
師の説法が活字になったタイ語を訳したことは
ありましたが、お話された説法を
音声で聞いてそのまま訳すのは、初挑戦です。

師の穏やかで力強い声も
動画で聞くことができますので
もしご興味ある方は、
お声も聴いてみてくださいね。

この記事は、継続有料マガジン
「月刊:浦崎雅代のタイの空(Faa)に見守られて」
内の記事で、継続購読すると月500円で読めます。
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みなさん、今日私がお話するのは
私たち自身のこと、自分自身のことについてです。

私たちは自分自身から学ぶということ。
体と心を通して、学ぶということ。

気づき、というのは生徒です。
そして
呼吸、それは教科書です。

教科書は教えてくれるでしょう。
自分自身を感じること、が基本です。

教科書で何が教えられているか。
何が示されているのか。

いずれにせよ、教えてくれています。
そして現れてきます。
私たちも知ることができます。

気づきによって、体の動きを観る。
心に生じたニミッタ(相:イメージや象徴、想像上の対象)を観る。
はまり込みも生じるでしょう。

ただ、それを知るということ。

知ることです。
それらは知識ではなく
ただのはまり込みである、ということに。

眠気が生じて、眠ってしまう。。
思考が、とめどなく次々に生じてしまう。。
~したい、、と欲望が生じてくる。

はまり込んだら、
はまり込んだ、と知ることです。

自分で、自分に教えていくんです。

すると、少しずつ
学ぶことができるんですよ。

私たちが教科書で勉強するときと
同じですよ。

教科書を読んだら、自分の頭で考えて
また教科書に戻るでしょう?

再び教科書に心を戻して
読み始めますね。

順序よく少しずつね、
学んでいくでしょう?

自分自身を感じるという
ウィンヤーン(識:感覚の対象を認識するということ)
が働くのです。

はまり込みに対して働かせるのではなくてね。

はまり込み。
それは、邪魔されるようなものです。

邪魔なものは、いりません。

その時に私たちに必要なのは
自分自身を感じることです。

自分自身を感じることを
築きあげていくことです。

自分自身を感じること。
それは「実践」です。

いつ、いかなるときでも「やること」なのです。

はまり込み、というのは「やること」ではありません。
その機会が生じてしまう、ということなのです。

しかし、今また自分を感じることを「やる」。
気づきを高める機会とする。

今、この時間を
子供や孫の心配をする時間としない。

今、この時間を
他の何かをする時間をするのではなく
自分自身を感じる、気づきを高める時間と
することです。

この時間は、気づきを高める時間として
はまり込みに邪魔されないように
努めてください。

自分自身を感じること。
自分自身を感じること。

以前は、はっきりしていなかったものが
はっきりとしてきます。

はっきりと観えてきますよ。
以前は、心に生じた思考が観えなかったのが
観えてくるようになりますよ。

生じてきた思考と、ともにいることができる。
生じてきた寂しさと、ともにいることができる。
生じてきた怒りと、ともにいることができる。

生じてくるさまざまなもの。
それらはお客さんです。

お客さんですから、
どうぞお帰りください、と
言ってあげることができますよ。

はまり込みだったり、思考だったり。
そうしたお客さんが来ても
去っていくのです。

そして、私たちは
自分自身を感じる、ということに
戻っていくのです。

生じたことを観て、はまり込みを知って
また自分自身を感じることに戻ってくる。

今ここの動きに、戻ってくる。

眠気が生じても、それに気づいて
今ここの体に戻ってきましょう。

             (続く)

。。。。。。。。。。。
浦崎感想

 気づきは生徒、呼吸は教科書。
 自分自身を感じることは、「やること」

 今日のお話の中で私が
 ググッときたフレーズはこれでした。

 私たちは確かに勉強するとき
 まず教科書を読んで、それがどういうことかを
 しっかり考えて納得し、また教科書の次の部分を
 読み進めていきます。

 どんな分野でもまず簡単なことから
 どんどんクリアーに細かい部分へと
 学びを深めていきますね。

 気づきの瞑想も同じで、呼吸(を含む体の動き)を
 教科書として意識を向けていき
 気づきを向けていけばいくほど
 生徒である気づきはどんどん成長していく。

 そういうメタファーなのかと感じました。
 また、自分自身を感じることはやること、という
 フレーズも、なるほど!という感じでした。

 感じる、というと、何かやることではなく
 自然とできるもの、のようなイメージがありませんか?

 実は私は、自分自身を感じるなんて
 そんな簡単なことをなぜ、お坊さんたちはおっしゃるのだろう、、
 と不思議に思っていた時期がありました。

 しかし、実際に瞑想に取り組んでいると
 いかに自分自身を感じていないか、
 今ここの体や
 やっていることではなく、過去や未来への思考
 心配事や後悔などへのはまり込みが多いかに
 気づかされました。

 自分自身を感じる。
 今もこの記事を書いていて、手の動き一つ一つを
 感じるように心がけています。

 リラックスしながら、一つ一つ。

 そんなシンプルな「自分自身を感じること」が
 大きな力になる。

 カムキエン師の説法は、直球ド・ストレートな
 お話ばかりですが、本当に励まされます。

 明日からも少しずつ訳していきますので
 どうぞお楽しみに!

   

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