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【実体験】浦和レッズサポのイカつい兄ちゃんが子供に与えた◯◯…

この話は遡ること約20年前にあった実体験。
素人なので文章力はないが、最後まで見てくれたら嬉しい。

覚えていることを可能な限り書き残し、ありのままを伝えたいと思う。


〜はじまり〜

私は、当時小学5年生。
父親の影響があり、幼い頃からボールと触れ合い、小学校に入ったタイミングでクラブチームに所属した。

サッカーが好きで始めたわけではなく、父親に言われるがまま始めたサッカーだったが、友達もできる、モテる、何よりサッカーが楽しかったので、どんどんのめり込んでいった。

有難いことに、競合チームと対戦したり全国各地に遠征などもしていたので、次第にプロを意識するようになり、プロの試合を生で観て勉強したいと思うようになった。
この時は、サッカーが上手くなるキッカケが得られる位に考えたのだ。

………。

まさか人生の分岐点がここにあったとは知らずに。

とにかく試合を生で観たかった。
親に相談したのだが、当時好きだったジュビロ磐田ではなく、家から1番近いスタジアムで開催される浦和レッズの試合に行くことになった。

(正直浦和レッズに興味はなかった。)

流石に小学生1人では危ないと親が言い始め、サッカーに興味がない母親と共に埼スタに行くことに。
もちろん、母親も初観戦なので安いという理由でホーム自由席を購入。

そして当日。
埼玉スタジアムに着いた時、私は衝撃を受けた。
たくさんの大人子供が赤い服を着てゾロゾロと歩いているではないか。

この時点で、興奮してはしゃいでいたのを鮮明に覚えている。
何故なら、母親が大人しくしろと何度も私を怒鳴っていたから。

さて、どこからスタジアムに入るのだろうか?
母親と私は、案内所で場所を確認して、とりあえず浦和レッズのユニフォームを着た人達が向かう方向に歩いた。
この時も母親はブツブツ。
遠いだの暑いだの言っていた。
私はそれに対してブツブツ。
それならなら一緒に来るなよと。

そして辿り着いたのは北門。

直ぐに入場できたのでスタジアム内へ。
そして見えてくるピッチ。

凄い。
とにかく赤い。
人もたくさんいた。

どこに座ればいいのか。
席を探してキョロキョロしていたところ、1人のお兄さんが声をかけてきた。

『席探してんの?そこ空いてるよ。』
怖い。一言で言うならヤンキーだ。

『初めてきたので大丈夫です』みたいなことを母親が言って断ったがのだが…
『初めてなら俺らの所にいていいですよ。周りから何か言われても守るんで。』

一言一句覚えている。
言っている意味がわからなかったから。
誰に何を言われるの?
何んで守られるの?
敵が近くにいるのか?
うん。意味がわからない。

母親が『じゃあそこにしようか』と、私も言われるがまま席に座った。

正直言ってこの席は嫌だった。
ヤンキーの隣はヤンキー。
挟まれて母親、私、ヤンキーヤンキーだ。
周りには怖い人たちで溢れかえった。
しかもゴール裏は観え辛い。
ついてないな。
恐らく当時の自分はそう考えただろう。

そして、選手のウォーミングアップが始まる。

ヤンキーが『ほら、立って立って』と言ってくる。
『何で立つの!?座ってみたいんだけど!』
と言えるわけもなく、言われるがまま。

スタジアムの空気は変わる。

一気に大旗が動き出す。
そして、みんなが大声を出し始める。

母親が私にいきなり
『何かあったら場所移動するからね』と言ってきた。
あの熱気を受けて母親も怖かったのだろう。

その後、周りに圧倒されて試合開始まで何をしていたかは殆ど覚えていないが、一つ覚えていることがある。

それは、ヤンキーが教えてくれたこと。
『浦和レッズは言えるだろ?俺が君の背中叩くから、その時は大声で浦和レッズって言え』と教えてくれた。

ヤンキー怖いから。
『はい』しか言えない。

そして試合が始まる。
いや…正確には始まる前だ。

ウォーリャーだ。

近くで1人の男が叫ぶ。
他全員が後に続いて叫ぶ。

凄いドキドキした。
普通に生きてたら大人でも経験しない。
足が竦むのだ。
子供の私でも分かった。
真似してやった方がいいと。

手をゆっくり挙げ手を叩く。
そして『オイッ!』と言う。

ちゃんと出来ていたかなんて覚えていない。
しかし一体感を感じた。
今でもあの感動は忘れていない。

そして試合は始まる。
スタジアムのボルテージが一気に上がる。
ゴール裏は全員立ち、旗は振られ、ブーイングが飛び交い、大人達が無我夢中で声を出すのだ。

異様な光景だ。
ただ、試合は全く観えない。

ポンポン。
ヤンキーに背中を叩かれた。

きた。
『浦和レッズ』のコールが鳴り響く。
それに合わせて大声で浦和レッズと叫んだ。
人生で1番大きな声を出したと思う。
この大観衆の一員になれた気がした。
言葉では言い表せない。
涙が溢れるくらいの幸福感がそこにはあった。

浦和レッズコールが終わると、ヤンキーは私に向かって『もっと声出せ!もっとやれ!』みたいなことを言ってきた。
容赦はない。笑
普通大人が小学5年生を煽らないだろう。

しかし、それに対して私は『はい』と答えた。
怖いから言ったのではなく、もっと声を出したかったから言った。

ここからが楽しいサッカー観戦の始まりだ。
真似して声を出す、手拍子をする。

試合が続くにつれて、母親も楽しんでいるのが分かった。
因みに、母親はサッカーのサの字も知らない。
むしろ、私がサッカーを始めることに反対していたぐらいの人だ。

そんな母親が『あ〜!』とか『おー!』とか言ってるんだ。
楽しくないわけがない。

そして訪れる歓喜の瞬間。
浦和レッズのゴールが決まる。

一斉に湧き上がるスタジアム。
母親とハイタッチ、前の人が振り返ってハイタッチ、俺も振り返ってハイタッチ。
ついでにヤンキーとハイタッチ。

知らない人とこんなにも喜びを分かち合うことはない。
これもまた、他では体験できないことだろう。

休む暇もなくすぐに始まる浦和レッズコール。
背中を叩かれ浦和レッズと叫ぶ。

声を出せども、周りの声に押しつぶされる。
負けじと声を出す。
さらに煽る人がいる。
そしてもっと声を出す。
こうして浦和レッズの大声援は生まれるのだろう。

この時は既に試合が観えないことなんて忘れていた。
そんなちっぽけなことはどうでもいい。
選手のために声援を送り続ける。
それを楽しんでいたから。

試合終了。
母親と一緒に『やったー』と大声で喜んだ。
身体は悲鳴をあげていて、立ってるのも辛い。飛び跳ねて足が痛い。脇腹が痛い。
(確か次の日のサッカーの練習は休んだはず…。)
そんな感じだった。

試合は終わった。
しかし、私の人生を大きく変えた出来事はこれから起こる。

母親と帰える雰囲気になった時
『多分、みんなで最後歌うと思うから、まだ帰らない方がいい。これ持っておきな。真似して。』とヤンキーがタオマフを貸してくれた。

更に、周りのサポに『タオマフ余ってる?』と聞いてくれて、母親の分も貸してくれた。

何が始まるのかと待っていたら
メガホンを持った人が何か話している。
始まった。
勝利の讃歌『We Are Diamonds』

みんなが一斉にタオマフを掲げ歌い始める。
わからない。
とりあえず真似してタオルを掲げてみる。

腕が痛い。
プルプルする。
しかし、誰1人として掲げることをやめない。
だから意地になって掲げ続けた。

歌が終わった時
浦和レッズに取り憑かれた。
震えが止まらなかった。
こんなにも面白いことがあるのだろうか?
ゲームやサッカーでもこんなに興奮したことはあるだろうか?

いい経験ができたと思い私のサッカー観戦は終わった。

のだが、この話には続きがある。
帰る前にタオマフを返そうとしたところ、ヤンキーと貸してくれた人は、『あげるよ』と言ってくれたのだ。

母親は『貰えない』と突っぱねたが
浦和レッズのサポならこれを持ってまたここに来いと更に返された。
あと、次来るなら早めに来い。
歌を教えてやる。
そう言い放って解散された。

この時決心はついた。
また来よう。


ここからは帰った後の話。


私は、父親にお願いしてレッズのユニフォームと次の試合のチケットを買ってもらった。
母親もどっぷりハマったようで、一緒にユニフォームを買った。笑

その後は言わずもがな。
選手の名前を覚え、埼スタへ足を運び、再びヤンキーを見つけてチャントを教えてもらった。
そして声を出した。

次の試合も、その次の試合も。

時には声が小さく怒られた。
やる気があるのかとも言われた。
子供に本気で怒る大人。
親以外にいなかった。
それでもレッズが大好きだから闘い続けた。
それにヤンキーも尊敬してたから。

気づいたらヤンキーのグループと一緒に闘っていた。
ナビスコやJリーグ、天皇杯、ACLなど、たくさんの優勝を選手やチームスタッフ、グループメンバー、そして全国の浦和レッズサポと喜びを分かち合った。

ヤンキーのお陰で毎日が楽しかった。


時は経ち2023年。


私は今でも北ゴール裏に立っている。
勿論、1人ではない。
新しい仲間を連れ選手と共に闘っている。
変わったことといえば、母親とヤンキーは年齢の都合上、南や指定席に移動したことだ。

浦和レッズは今も変わらず大好きだ。
生き甲斐となり、人生の大半を占めている。
きっと、こんなにも夢中になれることは、一生見つからないだろう。

また来いよ。
この一言とタオマフが、浦和レッズに身を投じる最後の一押しだった。
今でもあの時の話をヤンキーとする。
見かけで人を判断したらダメだと言う事を。笑

心の底から感謝している。

あと、貰ったタオマフは家に飾っている。
We are REDSの文字が描かれたタオマフだ。

子供の頃は分からなかった
この言葉も今ならわかる。

浦和レッズサポのイカつい兄ちゃんが子供に与えた『We are REDS』


〜追記〜

2023年8月現在。
浦和レッズは色んな意味で注目されている。
サポーターの件だ。
やってしまったことは、人として償わないといけない。
だから擁護するつもりはない。

周りが言いたいこともわかる。
特にメディアはネタになるから煽り散らかすだろう。

しかし、全員がそういったサポーターではない事を理解してほしい。

そして、このような事は浦和レッズで最後にしてほしい。

ありえないと思うが、万が一同じようなことが他で起こってしまった場合、私達と同じように苦しむサポーターがいる。
それだけはあってはならない。

『日本サッカーの未来が』
そんな話はどうでもいい。

今この瞬間、クラブを愛し、選手を支え、共に闘うサポーターのために。
そして何より選手のために。

そして私は何があっても
一生浦和レッズとフィールドで闘い続けます。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
今回の件があったので、過去の話ですが1人でも多くの人にレッズサポの素晴らしさを知ってほしかったのです。

勿論、私自身がレッズサポなので、耳を傾けにくく、中傷の的になる可能性もある。
それでも、浦和レッズが大好きだから記録として残しました。

これからも様々なチームと闘い、他チームのサポーターと共に、日本サッカーを盛り上げていきたいです。


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