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日本文化の担い手

 国のカタチを考えるあたっては幅広い視点が必要です。文化面も重要なテーマですが非常に深いものです。その観点から小さな話題ですが安定した社会の素晴らしさを担う一般国民の役割が重要です。

■日本文化と後継者


 改めて日本文化の担い手は誰かを考えてみました。
 日本文化といえば何百年も続いている伝統的な文化が思い浮かびますが非常に多くあります。
 例えば、日本刀は日本を代表する技術であり、芸術でもあります。明治時代の廃刀令以降(江戸時代もすで体面だけの象徴でしたが)、実用面では全く意味が無くなり、刀鍛冶職人も他の分野に移る等、ほとんど居なくなりました。しかし、今でも優秀な刀鍛冶は存在し、名刀が生まれて、世界に知られています。その他、漆器、生け花、茶道、盆栽、陶磁器、日本建築・畳・襖、日本紙、酒造り、割烹、着物等々、多くあります。これらは後継者問題を抱えつつも持続していています。海外からこれらを称賛されると嬉しいものです。

 しかし、多くの日本人は日常的には、ほとんど関わっていません。
ある意味、儲からなくてもそれらを引き継いでいる方々にタダ乗りしている状況です。これらの後継者問題については後日改めてコメントすることとして、本論ではこれらの技術や製品のことではなく、現代の「日本らしさ」「安定した社会」等は誰が受け継いで担っているかです。

■日本らしさの担い手 日常の所作が重要です

 それはいわゆる伝統技術等と異なり、社会の姿です。海外から日本は清潔、礼儀正しい、約束を守る、謙虚、安心・安全な社会、落し物が返ってくる等の良いイメージで語られますし、これは一朝一夕にはできないものですがそれは普通の国民の立ち振る舞い等から読み取れるものです。言い方を変えると、多くの国民がこれらの良いイメージである立ち振る舞いをしなければ伝わりません。高度な伝統技術は誰もが受け継ぐことは出来ませんが日本社会の良さは受け継ぐことはできます。そして、実際にやってきたからこそ世界から賞賛されています。
 ところが最近ではそうではなくなっている危惧がします。個々で言う立ち振る舞いとは日常の所作ですので、本来は誰でもできることです。

■箸の使い方にしても


 例えば、箸の持ち方です。
 以前から気になっていたのでお会いする方々そしてTVのタレント等を注意してみてきましたが、意外ときちんと持てない方が多いのに驚かされます。
 これに限らず、そんなことは個人の自由だからどうでも良い、多様性の時代(意味が違います)だから何でも構わないとの意見が多くなっていますが果たしてそうでしょうか?
 一端の大人、社会的地位のある方、尤もらしい話をする方々が食事の際に子供でもダメと言われてきた持ち方を平気でしている光景をみると本当に情けなくなります。

 最近では外国の方がしっかりしている感もします(ユーチューブ等を見ているようです)。食レポをするタレントすら酷い持ち方で子供が皆マネしてしまいます。周りの方は誰も指摘しませんかご本人は気が付かないのかもしれませんが才能豊かでもそれを見るとがっかりします。
 それもものすごく難しいことであれば仕方ない面もありますが箸の使い方は子供でもすぐに覚えらますし、大人になっても10分も練習すれば出来ることなのにやろうとしません。
 これに限らず、日常生活でゴミを路上に捨てない、静かにきれいに食事する(そばでも音を立て放題では無いですね)、時間を厳守する、控え目な態度で接数、相手を慮る等々です。これらについて外国人も実は高く評価しています。奴隷を認め、植民地化してきたキリスト教徒でもしかるべき立場方々はそれなりの言動をしてきましたが多くの国民はそのような習慣は根付かないままですので、良い習慣だと思ってもどうにもできない状況だと思いまう。
 幕末に侍等が訪米、訪欧視察をした際にも見慣れない着物、刀、髷等の姿は奇異に映ったでしょうが彼らの礼儀正しい振る舞いは理解されたようです。現代でも大谷選手が大活躍し、海外のファンも多くいます。もちろん前代未聞の二刀流そして素晴らしい成績が背景ですがその穏やかで礼儀正しく、謙虚な姿勢が高く評価されているようです(何気なくゴミを拾うことすら)。柔道が世界に広まったのもその趣旨だと思います

 箸の持ち方は母親が教えれば100%誰もが普通に出来ることです。昨今は学校で教えるべき(給食での犬食いスプーンは確かに酷いですね)等の意見もありますがどうでしょうか。こんなことは問題にすべきではないのですが女性の社会的進出が増えたせいなのかは分かりませんが教えない母親が増えているようです(おそらく母親自身が出来ないのでしょう)。父親はその点全く期待できませんね。風呂に入れたり、おむつを替える等だけでの作業のお手伝いだけはなく、教育という育児の一環を担うべきです。

■字の書き方にしても

 箸の持ち方以外にも手書きそして行筆があります。
 ワープロ、メール時代ですのでほとんど自筆で書類や手紙を書く機会が無くなりましたので自筆が少なくなるのはやむを得ないですが、だからこそ達筆な手紙をいただくと嬉しいものですし、書いた方の人柄の良さや教養の高さが偲ばれます。企業の役員や政治家等で酷い字の方が居ますががっかりしますね。一方、窓口の女性の字が非常にキレイなことが多く、見直してしまうことが多いです。おそらく、上司の方が下手であり尊敬されていないのだと思います。決して上手い必要は無いのですが。仕事の能力があれば所作は関係無いとの意見もありますがやはり両立させることが重要ですね。
 毛筆で書く機会はさらに無いので私も高齢者ですが葬式や結婚式できちんと使えていませんので自戒の念も含めてです。一方で習い事として書道や写経に励む方も多いようです。政治家は個々の専門能力よりはいわゆる政治的感覚が重要視されますがその揮毫は重要ですね。政治的姿勢が異なっていても揮毫が素晴らしいと一目置く気分になります。与党の政治家は皆さん、書きなれているのかもしれませんが素晴らしい揮毫をされます。一方野党の皆さん方は弁護士出身、官僚出身等錚々たる経歴のですが子供の字のような酷い揮毫を平気で書きます。
 これも政治的能力が重要だから字は関係無いとの意見もありますが程度問題でしょうね。

 その他いろいろな日常の所作が日本文化を表わしていると思いますので能力さえあればなんでも良いということでは無いと思います。


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