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【SNK】京と○○【KOF】

 2022年2月17日、ついに最新作の『KOF XV』がリリースされたので、それを踏まえて、主人公の周辺についてつらつらと。ちなみにこの文章は、もともとTabtterで公開したものに加筆&修正している。

 ということで草薙京。京サマのライバルといえば二階堂紅丸(八神庵ではない)。
 京にとっての紅丸というのは、少なくとも『94』の時点では過去に因縁のあるライバルとして用意されていたはずのキャラで、実際、チーム結成にいたるストーリーを読むかぎりではそうあつかわれている(過去に同じ大会に出場し、決勝で紅丸が京に敗れている)。同じく京に敗れた経験を持つ大門が比較的おとなしいのに対し、紅丸は明確に京をライバル視していた。
 しかし、翌年リリースされた『95』で登場した庵がキャラとしてあまりにも強烈すぎ、さらに京と庵をセットにした時のマッチング具合が神がかりすぎていたために、もはやふたりの間には誰かが入り込める余地がなくなってしまった。当然、そこにはライバルとしての紅丸の立つ瀬もない。これもまた非常に完成度が高いキャラであるはずの七枷社でさえ、「京の第一の敵」にも「庵の第一の敵」にもなれなくなってしまったのである(一応、庵のことは赤毛と呼んで敵視しているが、それはオロチとしての社ではなく、バンドマンとしての社のこだわりだろう)。
 結局、紅丸は京に一番近いポジションを庵にゆずり、好敵手の要素を残しつつも、仲間かつ友人、もしくは兄貴分的な立場にスマートにシフトした。
 キャラの配置というものを考慮すると、主人公に対して同じ役割を持つキャラが複数いた場合、そのすべてが立場を変えずに存在感をたもち続けるのはとても難しい。たとえるなら、それまで主人公の宿敵ポジにいたはずの某魔王二世が、デコの広い某エリート王子の登場に合わせて、いつしか宿敵ではなく仲間、頼れる参謀、もしくは親戚のおじさんのようなポジションに推移していったようなものである。
 ちなみに、京の恋人のユキちゃんは、ライバル要素も仲間要素も宿敵要素もいっさい持たない完全な別枠で、いわば故郷で夫の帰りを待つ控えめな女房タイプだったから、あの嵐のような熱狂の時代を大過なくすごせたのだと思う。もしこれが格闘少女的なキャラで「わたしも京といっしょに闘う!」みたいなことをいっていたら、瞬時に消し飛ばされていたんじゃないだろうか(熱狂的なファンによってか、あるいは庵によってかは判らないが)。

 一方、庵もまた京のライバルというにはやや違和感がある(初登場はライバルチームの一員だったが)。ライバルというと、どちらかといえば前向きな関係性を思わせるが、庵はそういう陽性とは縁遠い。ならば宿敵なのかというと、それも少しチープな気がする。「両家の因縁とは無関係に、特に深い理由もなくただ気に入らないから殺す」と揚言する男とそのターゲットの関係を宿敵同士とは呼ばないだろう。京が庵を敵視するのは庵から向けられる殺意に対するリアクションであって、もし庵に殺意さえなければ、京はみずから積極的に庵と闘おうとはおうとはしないと思う。その意味では、やはりこのふたりを宿敵とは呼びづらいのだが、まあそれはともかく。
 以前からいろいろなところでいっているのだが、ぼく的には、京が死んだその瞬間、庵もふっとこの世界から消えてなくなるんじゃないかという気がする。京が死んで生き甲斐がなくなったからみずから死を選ぶ、というようなありふれた話ではなく、八神庵という存在が草薙京と同時に消滅しそうな気がする。
 庵はもはやそういう現象。「どこだ、京!?」とかいいつつ最終的には京のいるところをサーチして瞬間移動してくる特殊能力や、オリジナルの京とクローン京とを瞬時に見分けるひよこ鑑定士のごときスキルも持ち合わせている、そういう超常現象。

 そして、もしユキちゃんが闘う少女だったら京と庵の間に立てずに消し飛んでいたかもしれない、とぼくが思う根拠が神楽ちづるである。向かい合う京と庵の足元にはギリギリふたりだけが立てる足場しかないのに、ちづるはそれに気づかなかった(紅丸や社ですらそこに立てなかったのに)。神器としての使命感から、『97』で「ふたりとも、わたしといっしょにオロチを封じるのよ!」と彼らと同じステージに立ってみちびこうとした結果、最終的にはそこからひとりだけすべり落ち、ふたりに置いていかれてしまった。神器のひとりという立場がなければ命はなかったであろう(大袈裟)。
『98』のノベライズ以降、ぼくが何かというと紅丸とちづるをセットにしたがるのは、ちづると同様、紅丸も『97』ラストの時点で京に置いていかれた人間だからである。ただ、ちづるは同じ神器の仲間として京と庵の両方に置いていかれているので、心に負った傷はさらに深かっただろうし、それゆえにふたりが生きていたと知った時には安堵しただろう。
 そんな彼女も、『15』では京たちのテリトリーに必要以上に踏み込むことなく、といって神器としての務めを放棄するわけでもなく、『97』の時よりは適切な距離感をたもてるようになっている気がする。

 ちなみに真吾については、文庫まるまる一冊ぶん書いたことがあるので割愛


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