見出し画像

「『生きる』は『食べる』か?」嬉野さんの言葉の切れはし#217

しかし、なんでコンビニにもスーパーにも、いつ行ってもあんなにたくさんの食べ物があるんだろうね。
誰が、どこでどう頑張ってくれているのかしらね。
--嬉野雅道

--------------------------
原始時代に比べたら、今の日本は、バカみたいに生き易い社会なのだと思いますよ。
お金さえあれば簡単に食べ物が手に入るから。
とにかく食べ物が手に入れば生きていくことができる。
生きていく知識も技術もなくたって、お金があれば生きていける。
生きるということが、たやすく出来てしまう。
だから「生きる」と「食べる」は、もうだいぶ前から日本では同義では、なくなっているのよね。
でも、この世界は、物凄く長い間、「生きる」といえば「食べる」ということだったはずなのよね。
どうすれば食いものが手にはいるか。
そのことが唯一最大の命題だった頃、ぼくら人間の体は出来たんだと、思いませんか、奥さん。
しかし、なんでコンビニにもスーパーにも、いつ行ってもあんなにたくさんの食べ物があるんだろうね。
誰が、どこでどう頑張ってくれているのかしらね。
そういうことも気になります。
でも、原始時代に行ってね、何にもできない人間を前にして、原始人がもし優しくしてくれたら、そんときゃやっぱり嬉しいだろうね。いろんな意味でね。
--嬉野雅道(水曜どうでしょうディレクター)

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!