6月号コラム嬉野さん

人は楽になるために「自分はダメだ」と思いたがる。嬉野Dの孤独という醍醐味。

師の一言が、自分の生き方を変えた。

昔、松川八州雄さんという、ぼくが師と仰ぐドキュメンタリー映画の監督さんがいて、ぼくはその方の助監督をしていたことが少しあったのですが、あるとき自分の能力の無さに気持ちが塞いでいたのか、松川さんの家に伺ったとき、頃合いを見て松川さんの前で「ぼくなんか、やっぱりダメなんです」的な弱音を吐いたのです。
そのときそんな風に弱音を吐いたのは、松川さんに慰めてもらいたいと思っていたからでしょう。
でも、そのとき松川さんは、ぼくを慰めるどころか苦い顔をして不機嫌そうにこう言ったのです。「情けないことを言うな」と。そうして、ぼくを残してぷいと部屋を出て行かれたのです。

1人で部屋に残され、ぼくは「詰まらないことを言ったものだ」と悔やみました。

そしてそれ以来、ぼくは、松川さんにも仕事仲間にも弱音を吐くのはやめることにしました。

なぜなら仕事仲間は、仕事を達成するために同じ1つの目的に向かってそれぞれに道を探しているチームです。 1人1人が相手を信頼できなければチームで仕事など出来ないはずです。
それなのに、ぼくは自分の気持ちがへこんだことに耐えられないと思って松川さんに慰めてほしくなり「ぼくなんかダメなんです」と弱音を吐いてしまったのです。
でも、仮にそのとき松川さんが「そんなことはない、ダメじゃないよ」と慰めてくれたとして、その言葉でぼくの仕事のスキルが上がるわけはないのです。
慰めなどで、ぼくの能力は少しも変わらない。だったらぼくがそもそも松川さんの前で弱音を吐いた目的は、松川さんに、へこんだ気持ちを膨らませて欲しかっただけなのです。気休めです。
ということは、ぼくは師と仰ぐ人に「気休め」を言わせようとしたということになるのです。
そのことに思いがいたったとき、ぼくは自分の身勝手さを恥じました。

それ以来、ぼくは仕事仲間に「情けないことは言わない」と決めました。
問答無用でそう決めたのです。「そうだな」って納得したのです。仕事上の悩みならば、悩みの原因であるスキルを上げることに時間は費やすべきです。
ぼくは「情けないことを言うな」と言った松川さんの言葉をそのまま受け取ることにしました。あとは受け取った言葉にしがみついて、その手を離さない。
そう決めたのです。

「仕事仲間に弱音は吐かない。情けないことを言わない」

そう決めて、それを習慣にしたところ、ぼくは、自分の中に答えを見つけ出すまで考えるようになったのです。
慰めの言葉を他人に求めなくなったら、自ずと自分が進むべき道を自分で探すようになったのです。つまり、答えが出るまで考え続けるようになったのです。

人生の「苦しい」に根拠なんてない。

でも、考え続けるのは、それなりにしんどいことでした。考え始めたら答えにたどり着くまで宙ぶらりんでいなければならないからです。どこにも上陸できず宙ぶらりんでぶら下がっているような状態は楽しくないのです。やっぱり苦しいのです。でも、苦しいからこそ答えにたどり着こうと考え続けもするのです。

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