辛い…

この2-3日、急に辛くなってきた。母が亡くなったことに加えて、15年前に亡くなった父のことまでがよみがえってきた。二人に、病気をせずに、もっと長生きしてほしかった…、なぜ母と父にはそれが叶わなかったのか…。今はもう二人ともこの世にいない、両親とも失ったという現実が辛すぎて、一日に何度も何度も涙が止まらなくなる。

病気が悪化する前の母の写真を見ていると、亡くなる日までの母の印象とのギャップで、元気だった時の母は本当に存在していたのか、まるで全部が夢の世界だったかのような感覚になった。

母を一緒に看取った母の友人は、ちょくちょく私の様子をうかがってくれて、昨日は夕飯を持ってきてくれた。今は大丈夫でも、アメリカに戻ってから倒れたりしないように、ちゃんと食べて、眠るようにと…。彼女も、母がいなくなってさみしいんだ、と思った。

旦那は、私がひとりでいる時間が心配だと言って、毎日FaceTimeで話してくれている。旦那は、初めてデートをした時から、私が笑うポイントをおさえてくれていて、こんな時でも、しっかり笑わせてくれる。

ただ、旦那とは時差があるので、あちらが寝てしまう日本時間の夕方ぐらいから、急にさみしくなる。

今こうして私が感じているさみしさと同じくらい、私がアメリカに行ってから、母にひとりでさみしい思いをさせたんだろうな…。そして、母が祖母を亡くした時、今の私と同じように、悲しくて毎日泣いていたんだろうなと、当時の母を想像した。

でも、母には、先に旅立っていた父がいて、祖母や親戚もあちらの世界で一緒にいるだろうから、もうさみしくないはずだね。

アメリカに帰る前に、家族を亡くした人の集まりがあれば参加してみようかと思って検索したが、特に癌で亡くした家族の集まりは、東京にもあるようだったが、あいにく私がアメリカに帰る後に予定されているようだった。しかも、あまり頻繁には集まってはいないようだし。

アメリカでは、日曜に近所の教会に行ったり、仏教系も週に何度か自由に参加できる瞑想会があり、それだけでなく、集まった人と接する時間がもたれたりと、そういった場が身近にあるのはありがたいと思う。

大切な人を失った悲しみは、同じ体験をした人にしかわからない。だけど、山の中で一生独りで暮らしている人以外は、遅かれ早かれ、誰もが経験すること。

東京にはたくさんの人が暮らしているのだから、アメリカでいう教会のように、一地域にひとつ、かけこみ寺的なところがあってもいいのに。


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