母がいないディナー

昨夜、母の友人がオーナーシェフをしているフランス料理レストランへ、香典返しの意味も含めて、母の友人とディナーに行ってきた。

シェフは、父と母とは長年の友人で、私のことは、生まれたばかりの赤ちゃんだったころから知っている。

その店には、父が亡くなってからは、よく母と、母の友人と私の3人で行くようになり、母と最後に行ったのは2016年の11月で、その時は旦那も一緒で4人でディナーをした。食事が終わるころに、いつものようにシェフは、私たちのテーブルに座って、一緒に飲みながら時間を忘れて話しをして、楽しかった。シェフが、初めて父に奥さんだと言って紹介された母を見た時の印象を、「お母さんはほんとにキレイで、まるで別世界から来た人って感じだったよ」と話していた。母はこの時、真っ白のスーツを着ていたらしい。私が生まれる前だから、今から45年ぐらい前だ。

昨夜は、お店に行く道すがら、母が一緒でないことも、お店に入って席に着いて、いつもとなりに座る母がいないことも、やはりさみしくなった。それでも、「ママ、食べるよ」とつぶやいてみる。

料理が一品ずつ運ばれ、いつもの母の口調で「美味しい、美味しい」というあの声が聞きたくなった…。

3月に、病院から母を連れて帰って来てすぐ、お母さんにと言って、シェフがお花とお魚のスープを瓶に入れて渡してくれた。その時はまだ母の意識がしっかりしていたから、とても喜んで、2、3日はランチに私が買ってきたパンと一緒に食べていた。まだ2カ月前のことなのに、ものすごく昔のことのように思える。

食事が終わってから、またいつものようにシェフが私たちの席に来てくれた。私に、「ほんとによく頑張ったね。いい娘がいてお母さんは幸せだったと思うよ」と言ってくれた。

アメリカに住むことを決めた時、親の死ぬ目に合わないことを覚悟してる?と、何人かに言われ、アメリカ移住組ともそんな話をすることがあった。私はいつも、私と母は大丈夫、母の最期は絶対に看取ると強く思っていた。一緒に住んでいても、看取れない人もいるから、母も、私がそばにいる時がいいと思っていてくれたのだと思う。

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