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母はお骨になりました

今日の午後、葬儀屋さんが迎えに来て、母と自宅を出発し、斎場へ向かった。色々考えて、結局、親族と親しい友人のみで、小さく見送ることにした。

日曜日で、しかも連休が始まり、近所はいつもより人通りが少なくて、静かで落ち着いて出発できた。

火葬場へ到着後、母をお棺へ移し、旅支度をさせ、母のお気に入りだったフリースブランケット、毛糸編みが好きだったので、毛糸と編み棒、そして好物のシナモンおかきを入れてあげた。

そして、火葬の前に、みんなでお花入れ。自然が大好きな母のために、葬儀屋さんには花を多めにお願いして、洋花でピンク、黄色、白など色鮮やかに母の顔周りから足元まで、いっぱいにしてあげて、とてもキレイだった。

斎場は、人がいっぱいで、各葬儀屋さん、運転手さんたちは大忙し。自分も含めて、人は誰もがいつか火葬場に来て骨になることを、あらためて認識する。

火葬の間、叔父は(母の弟)が、ずーっとしゃべっていて、時々つまんない冗談なんかも交えてくれたおかげで、しんみりならずにすんだ。

そして約1時間後、火葬が終わり、母のお骨を拾う。顎の骨と、喉仏の骨がキレイにそのまま残っていた。葬儀屋さんの話によれば、形が崩れずに残って出てくることは、とても珍しいらしい。

ちなみに、喉仏のことをなぜ喉仏と呼ぶのか、恥ずかしながら、今日知った。母の、小さくてかわいい仏様だ。

骨壷を抱え、帰りの車に乗るため斎場の建物の外に出ると、力強いけど優しい風が吹いていて、ご先祖様たちの存在を感じた。方向音痴の母を、ちゃんと迎えに来てくれたんだね。ありがとう、ママをお願いします…と心の中でつぶやく。

自宅に戻り、骨壷を祭壇へ。すでに午後3時を回っていた。旦那は、アメリカにいながらキャンドルを灯して、私たちが戻るまで起きて待っていてくれた。

祭壇を整えて、一通り落ち着いてから、みんなで遅い昼食を取りに。

日曜日の変な時間なので、開いている店が限られていて、結局、一度も入ったことがない、駅ビルのレストラン階にある韓国料理屋へ。

全員オーダーした料理が運ばれ、さあ食べようとした瞬間、それまでジャズだったレストラン内のBGMが、突然切り替わり、母の好きな曲で、この数日、母が旅立つ前からずっと部屋でかけていた、80日間世界一周のテーマ曲が流れ始めた。これには、母の友人と二人でびっくり。母の魂は、確かに私たちと一緒にいる。

家に戻り、暗くなって夜空を見上げたら、明るい満月が浮かんでいた。母も私も、月を見るのが好きだから、もしかしたら、そんなところまで、母は旅立つ日を計画していたのかな。




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