家族の歴史を振り返る散歩

日本での滞在も残り1週間となり、母の遺品整理も最終段階に入ってきた。

今朝は、不用品買い取り業者に来てもらい、母のアクセサリー、古いレコード、小型ヒーターなんかも持って行ってもらった。

夕方、船便でアメリカへ送る荷物の集荷も完了したので、ふらっと散歩に出た。アメリカへ戻る前に、地元をゆっくり散歩したいと思っていたし、今日は天気も良かったから、ちょうど良かった。

まずは、私が生まれた時から住んでいたマンションへ向かう。途中、子どものころ母とよく来たお菓子屋さんの前を通ると、そのお菓子屋さんがとっくになくなったことは知っていたが、和食レストランになっていた。当時、そのお菓子屋さんのドアには大きなベルが2つか3つ付いていて、お客さんが開けるたびに、カランコロンとカウベルのような大きな音がした。私は子どもだったから、その音をなんと言葉で表現したらいいかわからずに、「トンテントンテン」と言って、ついでにお店の名前も、トンテントンテンと勝手に呼んでいた。母は、それが気に入ったのか、私に合わせてくれていたのか、私をまねして「トンテントンテン」と言っていた。

お菓子屋さんのとなりにあった八百屋さんは、まだ残っていたけど、今日は残念ながら定休日でシャッターは降りていた。この八百屋さんの息子さんは、私と母が猫を飼いがっていたことを知って、近所から生まれたばかりの子猫をもらってきて、連れてきてくれた。ちょうど40年ぐらい前だから、あの息子さんも、もう60代だろうか。

八百屋さんの斜め向かいのクリーニング屋さんと、そのとなりの小学生の同級生のお父さんが営む洋食屋さんはまだ存在していた。

そして、マンション近くの幼馴染の家の前を通ると、幼馴染のお母さんが、家の前を掃除していた。幼稚園のころだったか、親子で一度か二度、出かけたこともあったから、一瞬声をかけようとしたが、色々考え過ぎて、躊躇してしまった。覚えていないかもしれないし…と。それに、母が亡くなったことを話したら、私自身が泣いてしまいそうで。

マンションまで着いて、一息。

2年前の帰国時、旦那に昔住んでいた場所を見せてあげようと言って、母と3人で来た時、母は泣いていた。父と結婚して大阪から二人で上京して住み始めた場所であり、私を育てた場所であり、それこそ35年間住んでいた思い出がたくさん詰まった場所だからだろう。

家族の、なんでもなかった毎日が、頭の中に次々と浮かんでくる。

母がステージ4の癌だとわかった時、突然、母との時間が大切に思えて、その時からの出来事や一緒にしたことは、紛れもなく特別なものになった。でも、病気になる前も、特別だったことにあらためて気がつく。

マンションの駐車場で、母が私に自転車の乗り方を教えてくれたこと、外からの帰り、マンションを見上げると母がベランダでお花や植木にお水をあげている姿をよく見かけたこと…。数え切れない、家族のなんでもない瞬間を、母と父と、共有していた。もう2度と、同じ体験はできないけれど、思い出せることがたくさんあるのは、幸せなことかもしれない。

15年前に父を亡くなくして、母も亡くした今、私にとって、とても大きな人生のターニングポイントであることは間違いない。

自分の子どもにも、私が育った場所を見せてあげたい、そう思った。それが叶うなら。

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