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アメリカで四十九日の法要

先週の土曜日、私が住むエリアにあるお寺で、母の四十九日の法要を無事にすませることができた。

旦那の親族、共通の友人など、参列者20数名のうちのほとんどがアメリカ人で、日本式の儀式どころか、お寺にも行ったことがない人ばかりで、お焼香の際には、一人ずつ横に立って説明した。

泣かないでいたかったけど、みんな母のために集まってくれているのに母がいない事実が辛くなり、涙が止められなくなった。

80歳の誕生日にみんな集まったとかだったら、どんなによかったか…。

お坊さんは、とても若く、しかもまだ日本から来て一年に満たなくて、英語も話せないようだったが、さわやかで、人なつこいところが、なんだか母の四十九日に相応しい気がして、申し分なかった。

事前に母の人柄を伝え、戒名を付けていただき、一周忌までに本位牌を用意することに。
本来なら、四十九日に本位牌を用意すべきだったが、勝手がわからず、気がつくのが遅くなり、お寺に相談したところ、一周忌でも大丈夫だから、その時にしましょうと提案してくれた。

朝10時から1時間ほどでお寺での法要が終わり、近くの中華レストランへ移動。全員で食事をした。ここでもやはり、みんなでご飯を食べているのに、母がいなくて、さみしかった。

相変わらず、毎日何度か涙が溢れてくる。夜中に突然目が覚めて泣いてしまうことや、車を運転していて、涙で前がよく見えなくなってしまって、高速で車を止めようかと思ったこともある。

なんで母はもっと長く生きられなかったのか?

この問いは、まだまだ頭の中で響く。一方で、母のことで泣いてばかりいられない、旦那との時間だって、あとどのくらいかわからないのだから、一緒にいられる時間をもっと楽しもう、そして、早く子どもを作ろう、という意気込みも毎日ある。

6月もすでに半分。2018年が半分過ぎようとしている。自分が本当にやりたいこと、整理しよう。

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