マッツ・ミケルセンに会った話

 マッツ・ミケルセンが好きだ。
 ドラマ『ハンニバル』の主演を務め、最近では『ドクター・ストレンジ』に悪役カエシリウスとして登場し、ハリウッドでも目覚ましい活躍を見せる、デンマークの俳優、いや北欧の至宝である。

 そんな彼と、留学中、会う機会があった。
 まあ、会う機会というか、会いにいったのだけど。

 コミコンと呼ばれる、映画やアメコミ関連の俳優と会えたり、グッズを買えたりするイベントが、わたしが住んでいた場所からそう遠くない都市でも行われ、彼がゲストで来ると聞いて、すぐ行く決意を固めたのだ。
 現地で悩んでいるうちに、写真撮影のチケットが売り切れてしまったので、サインのチケットを買いに行った。それはブースで直接スタッフから買うスタイルだったから、もうこの時点で、マッツ・ミケルセンと一メートルの距離である。わたしはスマホを取り出して、友人にSOSを送った。あれがなければ、わたしは今こうして無事にこれを書いていられなかっただろう。

 前夜のうちに、テンパって何も言えないのを見越して、言うことを先に考えておいた。英語がネイティブではないのに、母国はもちろん、ハリウッドはおろか、フランスやドイツの作品にも出演していて、しかもそのどれもで成功を収めている姿を見て、インスピレーションを受けているという内容だ。

「わたしも英語が母語ではないから…」と喋り出した途端、彼は

“Join the club!”

と返してくれた。

 友人とするような、いたって普通の会話のノリで、人懐く笑いながら言っていたから、その時は頭も真っ白でイマイチその言葉を消化できず、「クラブ…?」とぼんやり考えつつ、瞳がすごく茶色いなとか、髪がサラサラで綺麗な銀色だなとか思っていた。

 あれは、「仲間だね!」というような意味だ。

 サインしてもらった写真を受け取ってからしばらくして、ようやくどれだけ重い言葉をもらってしまったのか理解した。と、思う。わたしが生まれてもいない頃からずっと、繰り返し長い期間を家族とも離れ、自分のことばの通じない異国の地で先の見えない仕事を続ける不安や苦労は、途方もないものだったはずだ。ひとりだけ丸裸で、出来上がった社会に放り込まれるような気持ちだ。わたしがそうだった。

 見た目が白人男性であるぶん、わたしとは違う苦労もあったに違いない。もう本人は自分でよくネタにしているけれど、テレビ番組で「変なアクセント」と、彼がいないところで、からかわれているのを見たことがある。人種が違ったら、差別問題に発展しかねない。傷つかないわけがない、と思う。

 「オーディションで、英語が完璧だと嘘をついたけど、ワンシーンで二十単語も辞書を引いた」と彼が話していたことを、度々思い出す。こんなに凄い人でもそんなに辞書を引くんだ、と勇気をもらった。その人が何も成し遂げていない小娘のわたしごときを、英語が母国語でないだけで仲間扱いしてくれた。明るい口調だったけれど反射のように少し被せ気味で言っていたこと、それからサインをし終える前にふと「ときどき難しいこともあるよね」と静かに言っていたのを考えたら、やはりこれほど成功した今になっても、ネイティブの英語話者でないという点が枷になることもあるのだろう。

 だからこそ、いつかまた会えたなら、その時は翻訳家になって彼の作品を訳し、形は違っても、言語の壁を超えた仲間として胸を張っていたいと思うのだ。

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