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誰も知らない国から 4

いつもの街④

 しかも、学校があるのはあと一週間だけで、そしたら夏休みに入ってしまう。話が途切れたら、新学期が始まるまで、ずっと待っていないといけないのか。
「夏休みの間は、お話もお休みなの?」
「まあ、そうじゃない。勝手に入って掃除するわけに もいかないだろうしね」
 べつに、掃除の時間にこだわらなくてもいい気もするけれど。
「それまでに終わるの?」
「まかしといて」
 それにしても、天野君は放課後せっせと何をしているのか。
 ある日、こっそり尾行してみた。
 掃除が終わり、一緒に教室に戻り、じゃあねと言って別れたあと、こっそりあとをつけてみた。天野君は近くの公民館に入っていく。どうやら、図書室へ行って本を読んでいるようだ。ロビーの椅子に座って、いつ来るものかと待っていたら、やがて閉館の時間になってしまった。
 出口で待っていて驚かせてやったら、
「有泉さん、ひまなの?」
「ひまではないけど……天野君はなにしてるんだろうと思って」
「勉強してた」
「勉強、好きなの?」
「僕は遠い未来、いつか役に立つかも、ということについて今時間を割いているわけにはいかないんだ。今役に立つことをやりたいんだ。僕には時間が限られているからね。
 知識を習得したら、それをどう応用できるかまで知っておきたいんだ、今のうちに」
「受験は、しないの?」
「多分」
「高校には行かないの?」
 天野君は寂しそうに微笑んだ。
「僕の国には、学校もあまりないし、図書室もない。ここにいられる間に、できるだけ色んなことを覚えておきたいんだ」
 もしかして、天野君はタイムマシンに乗って過去からやってきた人なのだろうか。
 でも、なんだかちょっと馬鹿にされたような気がしないでもない。
 たしかに、天野君から見たら、私はそれなりに吞気な日々を過ごしているのだろう。受験勉強に集中すればいいのだろうけど、それだけでいいのかと気になって、勉強もろくに手につかない。つい、ほかにやるべきことがあるのではないかと思ってしまう。
 それなりの点数はとれているからまあいいのかな、と思ってあまり考えないようにしているけど、本当は、天野君みたいに学んだ知識をどう生かせるのかもっと探究したい。でも、最後の目標地が定まっていないから、どこをどう進んでいったらいいのかわからない。流末処理ができていない沢のように、水の流れを最終的にどこに持っていくか決めていないから、水の流れが大きくなればなるほど、水は出口から出れなくなっていく。やがては水路が破壊されてしまうような、そんなことを思うと、なんだかちょっと怖い。
「これからどっか行くの?」
「山に登ろうと思って」
 山と言っても、裏山のような山しかないけれど。
「なんのために?」
「行ってみたいから、行くんだよ」
「大丈夫なの? 暗くなるし、不審者が出るかもよ」
「僕は大丈夫だよ。でも有泉さんは大丈夫じゃないから、ついてきちゃだめだよ」
 ついてきちゃだめだよ、と言われるとついて行きたくなるのが人の性だ。だけど、天野君はそんな私の性質を知ってか、上手くまかれてしまった。
 
 図書室で掃除ができる日も、残りわずかとなりつつある。
 ここ数日、先生にさぼっていることがばれたのか、珍しくほかの人たちも来ていて、あれ以来話が聞けていなかった。迷惑な話だと思っていたけど、彼らは今日からまたさぼり始めたので、私にとっては好都合だ。
 天野君は「どこまで話したか忘れちゃったー」などと、わざと話すのをしぶって私をからかった。

 旅人のおじさんはほっと一息つくと、ここはどこなんだ? って僕に訊いた。僕の家だよ、って僕は答えた。
「他に誰かいないのか? 親御さんは?」
「僕はずっと一人でここに住んでいるんだよ」
「君はいくつなんだ?」
「あんまり考えたことなかったな」
「一人でどうやって生活しているんだ?」
「どうやってって……?」 
「身の回りのことも、全部一人でやっているのかい?」
「うん、自分でやってるよ」
「どうやって覚えたんだ?」
「樹に教えてもらったんだ」
 おじさんは、黙り込んでしまった。
「君は、なんというか、記憶喪失かなにかなのかな?」 
「知らないけど。なんだかおじさん、僕が何も知らないと思って馬鹿にしてない?」
「そう聞こえたら悪かった。しかし、君は、ずっとこんなところにいていいのか? 世界はもっと広い、やるべきこともたくさんある、会わないといけない人もたくさんいるはずだ。しかし、ここにいたらなにもできないではないか」 
「外の世界って、なにがあるの? こういう、本にあるような物語が実際に起こるのが外の世界なの?」 
「一概にそうとはいえないだろうけれども……そう言えなくもないかもしれない」
 樹は大抵のことはなんでも知っていて、いつも僕に教えてくれた。
 でも、知っているのに教えてくれないこともあった。もしくは、本当に知らなかったのかもしれないけれども、僕が尋ねると、首を傾げて困った顔をしてた。まあ、顔はないからそれはたとえなんだけど、僕にははっきり木が困っていることがわかった。そうすると、仕方がないので、それ以上訊けなかったんだ。
『あの山の向こうに何があるの?』
 それも、樹が答えてくれない質問の一つだった。
 旅人のおじさんは、旅をすることに疲れていた。初めのころは、見る物すべてが珍しくて、何をしていても楽しかった。だけど、旅を続けるうちに、そういった刺激はだんだんとなくなって、自分が何をしているのかわからなくなっていった。
 おじさんは話が上手で手先が器用だったから、行く先々で、よその街の話をしたり、道具の修理なんかをしながら旅をした。みんな旅人には親切で、生活に困ることはなかった。
 でもおじさんは、自分の中に生まれてくる違和感をぬぐいきれなくなっていった。
 よし、あの山の向こうへ行こう。そうして、そこで旅を辞めよう、そう決意した。そうして辿りついたのが、僕がいたところだった。
「あの山を越えるのは随分と大変だったんじゃないの? 一人では持ちきれないほどの水や食糧が必要だって聞いたけど」
 僕が言うと、おじさんは困った顔をした。樹が言いたくないことを隠しているときと同じような顔だった。
「君は、なんでここから出て行かないのだね?」
「出て行くって、悪い人や困った人がすることなんじゃないの?」
「君は困っていないのかい?」
「なんで困る必要があるのさ」
「君は、自分以外の人間に会ったのは始めてだと言っていた。初めて会った人間が私なんかで、説得力はないけども、ここに一人で閉じこもっていても、楽しいことなんて限られているよ。
 君は、これからも、ここで静かに一人で本を読んで、樹と語り合って、そうして一人で静かに老いていくのかい?」
「だって、それ以外に、なにをすればいいの?」

 盛り上がってきたところで、時間になってしまった。
 図書室から教室に帰る途中、たまには世間話でもするかと話を振ってみる。
「天野君、休みの日はなにをしてるの?」
「バスに乗って、市の図書館へ行っているよ」
「ここにいられるうちに、もっと違うことしたくないの? 例えば、遊園地へ行くとか」
「遊園地って、有泉さんにとってどんなところなの?」
「どんなところかな……、まあ、たまに行けばそれなりに楽しいけど、べつに無理に行かなくてもいいような」
「ふうん、じゃあ僕も今無理に行かなくてもいいや」
「じゃあ、音楽のコンサート行ってみるとか」
「音楽のコンサート? 面白そうだけど、ここからだと、バスや電車にたくさん乗って、遠くまで行かないといけないんだよね? 大変そうだな」
「じゃあ、映画を観に行くとか」
「映画ねえ。……僕、二時間もじっと座ってるの、難しいんじゃないかな。飽きっぽいから」
 好奇心旺盛なのか、めんどうくさがりなのか、よくわからない人だ。

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