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どうしても「怖い」ものがある。

創作大賞の最終結果発表の記事を読みました。よく知る、あるいはよく目にしてた方々のお名前を拝見して、私もとても嬉しい気持ちになりました。

私ですか? ミステリ1本エッセイ2本、すべて中間すら通りませんでした。予想通りなので痛くもかゆくもないです。いや、正直言うと、エッセイ1本は通ってもよかったんじゃないかって今でも思ってます。
というのを、これに書いてました。

「読めばいいんでしょう」

読んでほしいと思った人とは別の角度から投げられた言葉。ここにあった……ここで書いてました。
面と向かって言われたわけじゃないから気にする必要なんてまったくないんですよ。それはわかってるんです。でも、あなたに向けて書いたものじゃないのに、わざとらしく「読めばいいんでしょう」って書かれてたので、すごいショック受けたというか。
私が生み出したものを、あなたは視界の隅にも入れたくないのか…と。
もうさ、これ嫌われてんじゃん。
態度見てすぐわかる性格ってのも、よくないですよね(これは私のことです)。

これを言われたその日から、記事のシェアその他云々が、一気に怖くなりました。
自分で書いたものを投稿することが、怖くなった。
自分の生み出したものを発表することが、怖くなった。
記事のシェアは私のだけじゃなくて、ほかの方のでも、怖くてできなくなったことはあります。今はシェアできそうなものはシェアしてますけど、やっぱり、なんか怖いのです。
理由は…たぶん「あなたには読んでもらいたくなかったのに、なんでシェアなんてしたんですか? なんで読んでるんですか?」だと思う……だから、今でも怖いのです。
シェアするとき、すごい勇気いります。指も震えてます。

怯えてなんにもしないより、机の上でペンをぐりぐりやってるより、Googleドキュメントに書いたり消したりを繰り返してそのまま放置するより。
出さなきゃ評価はもらえない。やらなきゃ伝わらない。わかってはいるんです。でも怖がってる私がいるのも事実。
自分の望んだとおりの結果にならなくとも、それをちゃんと形にしなきゃいけないのに、やっぱりなんか、怖いのです。

怖いんだけど、創作大賞の最終結果発表を見たとき、なにか、なんだ、この表現しがたい感じは。嬉しい気持ちとは違うやつ。とにかくとても変な感じを受けたというか。

お三方の記事を読んで、やっぱり書き続けるのがいい。書かないとなにも始まらないって。
だったら、書かなきゃ。書かなきゃなにも始まらない。

ある日の仕事中、ふと「図書館もしくは学校図書館が出てくる話だったら楽しく(?)書けるんでないか?」って。
私は司書教諭でも学校司書でも、読書ボランティアでもないけど、想像力を働かせれば、なんとかなるかな、と思いながら進めてます。
参考になる本なら、新聞記事なら、ある程度なら知ってる。ストックしてる。これなら書けるかもしれない。

「読めばいいんでしょう」は、今でもほんとに怖いのです。
でも、やっぱり読んでほしいって気持ちは、あります。

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