まちぶせ ~歌手が変われば、歌の世界が変わる~

このnoteは歌詞の『解説』や『考察』ではなく『感想文』ですので、軽い気持ちで読んでいただけると幸いです。歌詞を読んだとき(聴いたとき)に受ける印象や、感じることは千差万別です。このnoteでは基本的に私が感じたことを紹介するため、少しずれたことを言うかもしれませんのでご了承ください。
もし特集する曲を聴いたことがない方がいらっしゃったならば、是非一度聴いてからお読みいただけたら幸いです。詞の世界を自分で想像して、色々と思いを馳せる時間こそが一番の幸せだと思います。また、あなたがその歌詞に触れたとき、どう感じたのか、なにを思ったのか、もし良ければ教えてくださると非常に嬉しいです。
色々な人の『視点』、『ものの切り取り方』、『感想』を知ることを楽しんでくれる人が一定数いらっしゃるとのことですので、そういう方々に楽しんでいただければと思います。

(本文内での敬称は略させていただきます)

【はじめに】
 「歌ってみた」というジャンルがあります。ウィキペディアによれば、「SNSや動画共有サイト上にて自ら歌ってカバーした動画のジャンルを表す用語」とあります。非常に個人的意見ですが、「歌ってみた」という言葉に少し違和感を覚えています。「歌ってみた」の「~してみる」の意味としては、「試しに何かを行う」というようなニュアンスが含まれています。新しいことに挑戦することは、誰しも初めは「~してみる」ですが、それを作品として世の中に出す段階でも「~してみる」というのは聊かどうなのでしょうか。作品を作る際は、是非とも「試しに」というニュアンスを取り除いて、本番で、全身全霊で歌いたいなと私は感じるからでしょうか、この言葉を未だに素直に受け止めきれずにいます。しかし、「歌ってみた」という言葉は現在世の中に浸透し、また受け入れられています。恐らく客観的にみたら、その言葉が一番場面に適しているのだと思って、自分の動画においても時たま「~してみた」という言葉を使用しています。
 「歌ってみた」をされている方々の中でも全身全霊な方は大勢いらっしゃるでしょうが、本当の意味で「なんとなく試しに歌ってみた」という方も結構な人数いるのだろうなとも思います。近年のミキシング技術の発展やSNSの拡がりにより、歌を世の中に発信することのハードルが非常に低くなり、今まで歌うことを苦手としていた方もどんどん自信をもって歌うことが出来るようになりました。これは大きなメリットとして捉えられます。一方で、歌に対しての敬意や情熱、音楽に対しての深堀の程度は、以前と比べてどうなっているのでしょうか、皆さんはどう感じますか。

【歌詞の伝え方について】
 今回は「まちぶせ」のお話です。作詞作曲:荒井由実、編曲:松任谷正隆による楽曲で、1976年に三木聖子への提供曲としてリリースされました。その後、1981年には石川ひとみによりカバーされ大ヒット曲となりました。非常に印象的な歌詞で、読むとゾッとする方もいるかもしれません。
 歌詞は1人称視点で描かれており、ありありとした風景が広がっています。個人的に痺れるポイントとして、1番のサビ終わり「あなたをふりむかせる」で非常に熱い歌唱が終わった後、Aメロに戻って落ち着いた後、「あなたを熱く見た」からのイントロ。痺れます。この主人公の心情の移り変わりや、したたかさ、女性らしさがメロディや曲調の上に上手く表現されているように私は感じました。そしてこのシーンが終わってイントロが明けるともう「あの娘」は振られているんですよね、何かあったのでしょうか。
 またこの曲の感想を述べる上で、イントロの美しさを外すことはできません。「イントロが好きな曲はなんですか?」と聞かれると、恐らく私はこの曲を挙げます。歌謡曲が主流だった当時には新しいニューミュージック系で洒落たサウンドが光ります。この若干恐ろしく仄暗い歌詞の世界がカラフルかつセピアを帯びて美しく光るのは、このイントロ(サウンド)の力が大きいと私は感じます。同じ言葉でも伝え方ひとつで大きく印象が変わる、伝え方って非常に大切なのだなぁとしみじみ感じております。

【歌手によって描かれる詞の世界】
 私がこの曲を初めて聴いたのは石川ひとみバージョンでした。改めて聴いてみると、言葉一つ一つに感情の揺れ動きが繊細に表現されているように感じます。主人公は恐らく中学生か高校生くらいでしょうか(確か三木聖子の実体験をもとにユーミンが作詞したらしいですね)、多感で日に日に感情や信念が移り変わり揺れ動く時期です。その揺れ動く気持ちや大人に対する憧れ、またどこか成熟した女性らしさも感じます。三木と比較して全体的に伸び伸びとした歌声で、歌詞の世界の思い出に対する『儚さ』を私は感じました。ラストサビの力強さは圧巻、やや強引っぽい、しかし自分から相手にゴリゴリとアプローチをかけたくない主人公の気持ちが伝わってきて、そこからまたイントロのリフが…、素晴らしいです。
 この「まちぶせ」のカバーは石川11枚目のシングルで、なかなか結果の出ない中で「歌手として区切りをつけるつもり」として歌われた曲でありました。また石川自身も歌詞の経験があったとのことで、思い入れが非常に強いということでした。この繊細かつ力強い歌唱は、歌詞の中に身を投じる(入り込む)ことで成されたものなのでしょうか。
 三木聖子バージョンについて初めて聴いたのは実は最近でした。石川ひとみバージョンがカバーであることは知っていましたが、オリジナルはなぜか28歳になるまで聴いたことがありませんでした。この歌詞自体、三木の実体験をもとに書かれているので、歌声にそのままノスタルジーさが乗っかっているように私には感じました。当時の思い出を振り返っているのでしょうか、『思い』がストレートにやってきます。サビ部分は特に思いの強さが非常によく表れているのではないでしょうか。また石川と比較し、三木は歌声がリズミックになる部分があり、そこからも歌詞が強く聴こえてきます。『儚さ』というよりも『あなたに伝わってほしい』という当時の主人公の思いの強さが現実味を帯びて心に刺さりました。
 この曲は他にもユーミンのセルフカバー、最近は上白石萌音がカバーしていましたね。歌詞の世界って、歌手によってこれほどまでに印象が変わるんですね、本当驚きです。また、その歌詞の世界を表現することが出来る歌手であるということですね。他のアーティストの曲を歌うとき、まずオリジナルの歌手がどんな世界を歌っているのか、まずは探検してみることが大事なのかなと思っています。

【最後に】
 曲をカバーすることは非常に難しいと感じます。何が難しいのか、それすら曖昧なので本当難しいです。「オリジナルの雰囲気を壊さないように」、「少し自分の魅力を入れて」、「本人はここにこういう色を加えて歌ったんじゃないかな」、色々考えて歌った結果、出来上がったものは何とも言えないものだったという経験が少なくありません。料理でいうと、誰かが作ったレシピを自分でアレンジして書き変える作業かもしれません、その上メイン食材(歌)の質が大きく変わります。そんな中で新しい魅力を追求するなんて、本当難しい話です。
 気軽に、試しに「歌ってみた」ら、音楽や詞の世界が大きく捻じれてリスナーの耳に届いてしまうかもしれない。その結果、リスナーが感じる音楽の世界を左右してしまうのです。だから、歌うときは本気で、全身全霊で私は歌おうと思っています。

【次回】4月1日更新予定

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