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うちのばあちゃん2024

2024年1日目からしんどいことが多い。
滋賀のばあちゃんのボケが酷くなってて全然帰省した瞬間から複雑な気持ちだったのに重なって、良くないニュースばかりでずっと悲しい。こりゃあ皆んな不安にもなる。
とりあえず各方面心配だけれど、あんまり心配心配言っても皆が不安になるし、わたしはいつも通り生きて、周りを大事にして、今伝えられる相手に愛を伝えるしかない。
出だしからズーンって感じだな。とりあえず募金をしたとてこれを人に言うことなのかもわからない。1人でも多くの人が安全で安心して眠れることを祈る。

年末は地元でばあちゃんの服を選んだ。ばあちゃんに接骨院にリハビリに行くのに服が古い。若い人に診てもらうのに汚い服着てたら恥ずかしいから買ってきてや、と頼まれて買いに行った服選びが難しかった。

ばあちゃんは「なんでもええ、着れたら」と、言うくせに、本心は全く嘘なので少しでもミスると「これはわたしの服ちゃうわ。お母さんにあげ」と言い出す。

もうわかっているので、尋問してしっかりと情報を得る。つもりが、初回はミスってしまった。
「丈は?」「一個しかもってへんけど、これがちょうどええな。こっちは重いし短いわ」
(重いのも、短いのもだめ)

「ボタンあったほうがええん?」
「着れたらええ」

「サイズは?M?L?」
「Lは大きいわ!ほんなもんきーひん!」

「わかった」
とりあえずばあちゃんの一張羅を着て近くのショッピングモールへ。これは情報足らずだった…

ばあちゃんの服は、ばあちゃんっぽい服ゾーンと、ばあちゃんが着るけどばあちゃんっぽくないゾーンがある。

うちのばあちゃんはいつもばあちゃんっぽい服を着ているけれど、これはもらったからばあちゃんっぽいのか、好んでばあちゃんっぽいのかが、てわからない。
初歩ミスだった。普段ばあちゃん服を選ばないのでわからない。両親が選んでも「これはわたしの服ちゃうわ」コースに迷い混むので両親は普段無難なパジャマを送る。

孫の力はこういう時に偉大なのだ。

孫力と孫の愛を使っても、ばあちゃんにいい服を選ぶのは難しい。
幸いにも、着て行ったばあちゃんの一張羅が、わたしにすごく似合ったので、ばあちゃんに似合う服は私にも似合うはず!!という方程式が生まれる。そうして選んだのがこの服。Mは窮屈だったので、Lは大きいわ!のリスクを抱えつつ返品交換という保険をかけてLを購入。

わたしにも割と似合うばあちゃん服


決めて帰る。

ばあちゃんに早速着てもらう。

「え!ばあちゃんめっちゃ似合うやん!!
すっごい素敵やわ。よかった〜〜!」
「ほーかいな。ほなええな。」

「サイズは??Mと変えに行ったほうがええ?」
「まあちょうどやわ、ちょうどええ」

「よかった〜〜よしよし、これでリハビリに着ていけるな!」

と私が言って満足したのも束の間、夜ご飯を食べた頃には「人からもらった服はきーひんな…」
と、ぽつり。
「えっ??ばあちゃんあれ、あかんかった??」
Mでなくて良いというので交換できる値札を既に切ってしまっていた…

「いーや!着る!」
「ほんま…?まああれが1番ええ服やったで」
「でも人が選んだもんはやっぱりあかんな…」

えええええ。まあしゃーない。迷路に迷い込んでる。
話を逸らすために、新婚旅行土産に買ってきたマリメッコの布で巾着を作って欲しい交渉をする。
帰国後にすぐ実家に送り、母にばあちゃんに頼んでおいてと伝えていた。
でも母からはもうおばあちゃんしんどいから作れへんって言ってたわ。とだけ言われていた。

「ばあちゃん、去年布ないから何もつくられへんって言ってたから、布買ってきてん!これで巾着作ってや」
「…昔はよう作ってたなあ、もう、ミシン動かへんしなあ」

「そうやん!上手に巾着作ってたやん!」
「でももうずっと作ってへんしなあ…」

「ここと、ここ、縫うだけやで!」
「そうやなあ…でもなあ…うちのお母さんは99まで生きて、94くらいまで頭もしっかりしてたなあ。畑もようやって、よう動いてたなあ」

「せやろ?おばあちゃん何歳になるん」
「次、89、もう90やわあかんわあ…」

「ちゃうやん!!ひいばあちゃんみたいにしっかりするために、手を動かしとかんと、ばあちゃんボケるで!」
「そうやなあ、もうぼけたるしなあ…でもしっかりせなあかんな…」

「全然ぼけてへんよ!ほら、こことここ、切って縫うの得意やったやん!」
「いややわ。」
「笑」

この会話を3周して、ばあちゃんも作ったほうが頭にはよろしいということはわかりつつも、もうまた手を動かすのが億劫になっていた。
ちなみにわたしはガチで巾着が欲しいわけでもなく、ばあちゃんに新しい風を吹かせたいためである。

4周目くらい
「この布、新婚旅行で外国から買ってきてええ布なんよ…ばあちゃんのために選んだのにな…」
「そうなんか!(初めて食いつく)でも、つくるんはなあ…」
「ええ布なんやけどなあ…そっか…もう諦めるわ…」

とだけ伝えて、もうエンドレスなので、ばあちゃんは布を持って帰って行った。(ばあちゃんちは隣接している)ばあちゃんは損をすることには弱い。高い布作戦が効いていることを願う。
まあ、あんだけ嫌がってたし、対面でお願いしても嫌そうなので仕方ないと諦めた。

次の日の朝、元旦。

おじいがとてもお正月を大事にする人だったので、わたしはこの年になるまで、中国に出張していた&コロナ禍を除いてお正月は絶対に実家で過ごしている。

その時に新しい気持ちで、新しい服も着るのがうさべ家のなんとなくの気持ち。

元旦、おせちを囲んでみんなで集まるとばあちゃんはなんと、昨日買った服を着てくれていた!!

「え、めっちゃ似合うやんばあちゃん!」
「ええな、やっぱり着てみてよかったわ、ありがとうな。」
「えーよ、ほんなら巾着作ってな!」
「無理やわ。」

笑った。でも、感動。
ばあちゃん今後も着てくれることを願う。

おせちを食べてお皿を洗っていると、一旦家に帰ったばあちゃんが手にお金となんと、まさか、布を持っている。

「え、どしたんこれ」
「もう一個服、買ってきてや、あと巾着みてみて。紐が無かったからほかの巾着潰したわ。」

「?!?」


布だと思ったら巾着だった。ロックだ


なんと巾着ができていた。
しかもしっかりと、ほぼ要望通り。

「えっ?!?すごいやんばあちゃん…」

昨日からずっと問答を見ていた夫も横で感動。
「ほんとにすごいですね!これはすごい!」

母も
「えーすごいな!!お義母さんわたしにも作って〜」

みんなにすごいすごいと言われ、ばあちゃん
「こんなんいくらでもできるわ。おだてりゃ良いと思って!でも意外とできるもんやな!」
と、嬉しそう。

「えー感動した。そりゃもう服買いに行くわ。ばあちゃんもう一個作っといてな!!」

次は色、再度服の形、首の詰まり具合などを確認し、また服を買いに行った。(サムネ?の写真のばあちゃんの膝にあるのがその服です。ばあちゃんぽくない方のデザイン。)
そうこうして帰ってきたら、追加で二つ巾着袋ができていた。

絶好調である。母も「やっぱり孫がいると顔色から違うわ…」という。
帰ってきてよかった。服買いに行ってよかった。
まあ着てくれるかはわからないけど、毎日なんとなく不安な夜を1人で過ごすばあちゃんにちょっとのスパイスがあってよかった。


ばあちゃんが作った大量の大根

わたしも既に老後が心配だが、こうやっていつかできる趣味を増やしておくのは悪くないなと改めて思った。何かをつくることは生きることだ。

ズーンってなることも多いけど、できる人ができることやったらちょっとは良いことあったかな、という話でした。わたしにできることをひきつづき。



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