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新作 トンビ 魂の鼓動 の制作の話

usaginingenの音楽担当シンイチです。

先週末は約1年半ぶりに豊島ウサギニンゲン劇場での公演をしました。ダンサーで友人の浅井信好くん率いるダンスカンパニー、月灯りの移動劇場との共演での2日間だけの特別公演。無事に2日間4公演を終え一安心。観に来てくれた友人たちの公演後の笑顔が本当に嬉しかった。鳴り止まない拍手でみんなの思いを受け止めました。ありがとう。この出来事はまた後日noteに書きますね。

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さてさて前回の続きです。

今回の国内ツアーの作品、「トンビ 魂の鼓動」についてお話しします。
僕が住んでいる瀬戸内海の離島・豊島はかつて日本で最大級の産業廃棄物不法投棄事件がありました。高度成長期に国が経済的に豊かになっていくその影で産み出された沢山のゴミがこの場所に廃棄されたという事件。
業者によって大量の産業廃棄物が搬入、野焼きされ「ゴミの島」とまで呼ばれるようになりました。島の住民たちは美しい故郷を守るために立ち上がり誤った対応をした県を相手に現場復帰を求める公害調停を行いました。過酷な草の根運動の後、発端から25年、2000年に調停の最終合意を得ました。2023年までに処理が完了予定で、今日も最後の汚染水の撤去が続いています。

随分端折った概要です。インターネットや書籍でも詳しく知る事が出来るので是非皆さん触れて欲しい。豊島に来ることがあれば活動の前線にいた方の現地ツアーもあります。連絡くれたら紹介しますね。下に書籍も載せました。クリックで購入ページにいけます。
豊島・島の学校
豊島問題(香川県のHP)

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この事件のを知ったのはドイツからの帰国を考えて瀬戸内の島々を回っていたとき。友人に誘われて上記のツアーに参加した、確か2014年だったかと、そこで運動の最前線にいたガイドさんの説明に「自治」「共生」「持続可能な社会」など、当時ベルリンに住むようになってから意識するようになった言葉、考え方が次々と出てきました。こんなに小さな島でそういう類の言葉が聞けたことに正直驚きました。

その後、ご縁があって2016年にここ豊島に引っ越しました。ちょうど住み始めて2年目の2017年に廃棄物処理と無害化が完了。(後、汚泥汚水など見つかり処理は継続中)完了セレモニーなどにも参加したりして、その頃あたりからこの事件について伝えて残す必要性を感じ始めました。事件そのものというよりは自分たちで考え行動に移す姿勢。これはこれからの厳しい社会を生きていく上で大きな学びの歴史教本だと思いました。

早速リサーチを始めた。再々現場を訪ねたり、島民の方々からも当時の話を伺いました。なぜあんなにも過酷な運動を続ける事ができたのか?早速難関にぶち当たります。多くの人が関わった事件で、みんなが一様だったわけではない。様々な状況の中で何とか成し遂げた事だと。一筋縄ではいかないテーマにチャレンジすることになったなぁと思いました。リサーチを重ねて、いよいよ制作に取り掛かりましたが、どんなにたくさんの情報を入れたとて、その活動の中にはいなかったわけで、事の重さに対して、自分から出て来る思考が軽いと言うか芯にまで届かない。何より、いくら聞き取りを重ねても、どうしてあれほどまでの過酷な運動を続けられたのか、と言う問いに明解な答えには至ることができなかった。それぞれ人の色々な話を伺ったから。
どうやら僕はみんなが持つ同じ一つの答えを期待していたようで。しかし、逆にいえばそれでも一丸となって運動した事実に改めてこの活動の凄さを感じるわけだけど。

なかなか手詰まりだった頃に、この作品を事実ベースのドキュメンタリー風で作ってみようと言うチャレンジに切り替えて取り掛かりました。今度は年表を追って基本的に感情の部分を極力抜いてみる。そうすれば情緒的な部分をドライに扱えるし、人それぞれの違いという問題点をある程度克服出来るかと。しかし制作している最中になんか違うなぁって。絵美ちゃんも俺もしっくり来てなくて。これってわざわざusaginingenでやるべき手法なのかと。。再度制作は停滞。程なく妊娠出産や俺の病の発覚とかもあって制作にかける時間がほとんどない状態に入る。ただ常に頭のどこかで考えていました。そんな中、ふとした時にこれは「命」の問題だって閃いたようにしっくり来たタイミングがあったんだけど、それはそれでじゃあどうパフォーマンスに落とし込むのかと言う部分で、より一層難易度をあげてしまう結果に。それこそここまでに、音楽も映像も作っては壊しを何度も繰り返しすぎて迷子状態。

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息子が保育園に通い始めたのをきっかけに気分新たにゼロから制作再スタート!一旦リセットすると景色がクリアになるもんで、台本作りがはかどり始めていた。そんな矢先に今度は島内の地区ごとの関係性に不協和音が始まり、あれだけの運動を成し遂げた先に待っていた未来が今の状況。。って。先人たちは何を思う。。作品の着地点、エンディングを見失い、また制作の手が止まる。

それでもどうしてもこの作品を完成させたかったのは、我々の今の彩りある豊かな生活や長年の不妊の末にこの島を選んで生まれてきた息子のこと。全てはこの島の先人達の活動の上に成り立っている。本当に心から感謝しているから。
例えば、様々な活動の一つに銀座数寄屋橋でのデモ行進があるんだけど、それを知った後に上京の際当地へ寄ってみた。大都会のど真ん中に小さな離島から行って己の主張をするんだから恐かっただろうなって。僕も長く東京に住んでたからわかるけど、おそらくほとんどの通行人は無関心に通り過ぎただろうし。何で自分らの出したゴミじゃないのにって。悔しかっただろうなって。そんな事を思いながら巨大なビル群を眺めたら涙が出た。
そういう多くの過酷な活動の上に今の自分の家族の生活が成り立っている。もしゴミのある島のままだだったらここに住んではいなかったと思う。何かのご縁でここに住んでいる運命の理由を感じるわけです。そして、どんなに困難でも引き継がなければ歴史は繰り返されるから。

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再度、絵美ちゃんと話し合いを始めて、自分たちが何かを代弁しようとしているんじゃないか。そこに難しくなる原因があるんじゃないかと、もっと今の生活の中に感じていることを自分たちの目線で捉えようと、これでエンディングまでいける感じになりました。が、ここまで作って壊してを繰り返しすぎたせいで、それにこの事件に関わる人々に思いを馳せすぎてしまったのか、どの立場にも言い分がある。もはやどこからでも溶けてしまうような捉え方になってしまって。。そんな折、不意に浮かんだアイデアがトンビの目線

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島で住み始めてすぐは毎日のように家を大掃除していた。疲れて空を見上げては優雅に旋回するトンビをよく眺めていた事を思い出した。
いつもの散歩道はちょうど棚田の最上段で海風が吹き上がる場所、その風を上手に捉えて旋回するトンビを同じ目線の高さから見ることができる。美しい、優雅だって感じてた。

人にはそれぞれの正義と言い分がある。極端な話、ゴミを運んで来た業者にさえ当人なりの正義はあっただろう、それが受け入れがたいものであっても。業者に脅され許可を出した県職員にも家族を守りたいと言う正義があった。当然、美しい島を守りたいという島民の正義。お金を儲けたいという正義。エゴ。

そんな様々な人間模様をトンビは空の上から一様に見ていたのかなぁって。
そして今も。
これからも。

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長くなりましたがこんな経緯を経た作品です。足掛け4年かかりました。正直ホッとしてます。新聞や雑誌にも制作が載ってたので作る作る詐欺状態でしたから(笑)
観てくれた方の何人かでも豊島事件を知り、物事を自分から知るきっかけになり、自分から考えるきっかけになり、新しい生活のきっかけになればと思っています。

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さて次回は、久々に2日間限定で開場した豊島ウサギニンゲン劇場での公演のことや、日々変化するコロナ感染拡大によるツアー先会場とのこれまた過酷なやりとりの日々を綴りますね。ではまた。

つづく

2021国内ツアー特設サイト
https://usaginingen.com/japantour2021
今回は感染対策のため全会場で定員を設けてます。オンライン予約、info@usaginingen.com、などで予約を受け付けていますので、事前予約をよろしくお願いいたします!!

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