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好きに根拠なんてない

何事にもエビデンスはあるの?と聞かれる昨今ですが…。何かを好きになる、好きであるってことに理由とか根拠とかはない気がするけど。どうだろう?

ここが大好き、これがおもしろい、こんなところが素敵…いくらもあげられるけど、それは好きだと思うポイントであって「好き」が発生した原因とは言えないんじゃないかと思うのですよ。

たとえば、大好きな男性がいるとして。どうしてこの人を好きになったんだろう、と考えてみる。イケメンだから?背が高いから?声がいいから?頭がいいから?話が合うから?優しくて心が広いから?嘘をつかないから?…ほらね、これってみんあ好きだと思う彼の特徴でしょう?おんなじようにイケメンで背が高くて頭が良くて優しくて嘘をつかない男性はたぶん存在するんだけど、どうしてその人じゃなくて「彼」を好きになったんですか?「好き」はどこからきましたか?

好きになった「きっかけ」を原因とか根拠にする人もいる。上司に叱られてるところを庇ってくれたとか、電車の時間が一緒になることが多くてとか。でもそのことだけじゃ、「好き」は発動しないよね??

いろんな条件が幾重にも複雑に重なって「好き」は生まれるんだろう。だから、きっと原因とか根拠とかは考えるだけ無駄なんだと思う。まあ、エビデンス好きなひとはたくさん見つけてみたらいいと思うけど。

物語の中に(現実世界でも)よくあるように、外から見たらあきらかに「好き」なはずなのに本人が気づかなかったり認めなかったりする例もある。だから、「好き」の発生には自分の意思はあんまり関係ないともいえるかもしれない。


この、正体不明の「好き」は恐ろしいことに無限のエネルギーを秘めている。発生源もわからないままに私たちはこれを毎日放出させているのだ。「好き」の力で願いを叶えたり、お金を稼いだり、人の心を動かしたり…

「好き」を上手に使いたいなあと思う。なぜって、ある条件が揃うと「妬み」とか「独占欲」とか「憎しみ」とかに変換されちゃう可能性があるから。

「好き」の根拠だの意味だの追求しないで、そのままそっと抱いていたらいい (その追求を今ここでやっちゃってるけど…;;)。下手にいじると変質しちゃうからね。

好きなんだから、いいじゃん。ただそれだけ。


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