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蒼のノスタルジア :2

初夏の日射しが電車の窓を通り抜けて、蒼介と朝日花の間に落ちる。
車窓に広がる眩しい新緑。山がちな地形を進む車内で、駅で買ったお菓子やパンを二人は膝に広げる。
ピクニックみたい、と幸せそうにコロッケの挟まったパンをかじる蒼介に、あんまり食べるとあとで何も入らなくなるわよ、と言いかけて、朝日花は口をつぐんだ。この人の胃袋、底無しだったわ。
私にも頂戴よ、と蒼介からチョコレートの袋をひったくり、朝日花は甘い欠片を口の中に放り込む。

「朝日花、今日はお休みなの?」
今度はサンドイッチをむぐむぐと頬張りながら、蒼介が尋ねた。
「会社がね、突然潰れちゃったの。だからお休みと言えばお休み。ちょうど暇だったのよ。だから今日は、ちょっと遠出しようと思って」
停車した電車からホームに降りていく人々の流れをぼんやり眺めながら、朝日花は答える。勤めていた会社が潰れたのには参ったけれど、このタイミングで倒産だなんてまるで何かを示し合わせたようだと、朝日花はこのよくできた偶然をつい疑ってしまうのだった。


糸崎で乗り換えると、尾道はもうすぐそこだ。

二時間弱の在来線の旅を終え、ホームに降り立った蒼介が、猫のようにうーんと伸びをする。
尾道駅も広島駅同様、新しくなっていた。子供の頃に訪れた、レトロな駅舎の記憶だけが残っていた蒼介にとって、瀬戸内の穏やかな太陽の光を受けて佇む真新しい駅は、とても眩しく映ったらしい。子供のように、綺麗、すごい、と騒ぐ蒼介を、朝日花は苦笑しながら見つめる。

そうか、まだ蒼介のお父さんやお母さんが生きてた頃のことだもの。私の両親と6人で、車に乗って遊びに来たんだっけ。
ゆっくりと記憶を紐解こうとするが、それは薄くぼんやりとして、掴もうとすると逃げていく。蒼介も、駅は何となく覚えてるけど、あとは思い出せるかなあ、と首をひねった。でも、覚えてない方がきっと面白いよね、と屈託なく笑う。


駅の目の前に広がる風景に、蒼介が歓声を上げる。初夏の陽射しが落ちてくる港の町。白い雲が筋を作る空は水色で、同じ青なのにずっと濃い色をした海の遥か高くに広がる。水色と深い青の間に、緑の山。海を挟んですぐそこに佇む、向島。島に見える工場は、造船所だろうか。

振り返ると、駅舎はすぐそこに迫る山を背負うように立っている。空、海、島、山。瀬戸内の自然を箱庭のように閉じ込めたこの街は、一歩を踏み出すだけで、ここが地続きの日常であることを忘れさせてしまう。
刻まれる時は世界中のどこでも変わらないはずなのに、遠くに置いてきたはずの過去が、ここには当たり前のように息づいている気がしてくる。

何か、大切なことを、忘れているような、気がする。


駅に向かう女子高生とおぼしき集団が、鳩が豆鉄砲を食らったような表情で蒼介を振り返る。悲鳴とも黄色い声ともつかない小さな叫びが彼女たちの間で交わされているのを、朝日花は懐かしい気持ちで、耳の端で捉えた。

蒼介は、誰もが振り向くような美しい少年だった。いや、その美しさは少年と言うより少女のそれだったかもしれない。
瀬戸内の陽射しが長い睫毛にこぼれ、両目の青い宝石を縁取る。漆黒の髪は潮風に遊ばれて、薄紅を浮かべた白い肌にはらりとかかる。歌うような唇も、形のよい眉も、神が丁寧に完成させた絵画のようだった。
蒼介は、彼の母親に驚くほど似ていた。瓜二つと言ってもいいくらいだ。違うのは瞳の色だけ。いつまでも少女のようだった母親と同じく、蒼介は8年前の姿のまま、少年のままのように見える。背の高さだけが、記憶の中には無いものだった。

「ねえ、どこ行く?」
海の方へ駆け出しそうになりながら、蒼介は目をきらきらさせる。

「そうね、お昼時だし…。やっぱりラーメンかしら。それから千光寺かな、景色見たいし」
あまりにも定番のコースだろうか、と蒼介を見上げた朝日花は、ラーメンと聞くなり、蒼介の関心が海から食べ物に向いたのを感じ取って思わず呆れた表情になる。本当の本当に、何にも変わってないわ。さっきあんなに食べてたのに。

5月にしては強い陽射しが、商店街の方向へ歩き始めた二人の背中に降り注ぐ。その姿は色褪せた写真のように、尾道の景色に焼き付いていった。



第3回に続く

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※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、地名等とは一切関係ありません。


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主にフィギュアスケートの話題を熱く語り続けるブログ「うさぎパイナップル」をはてなブログにて更新しております。2016年9月より1000日間毎日更新しておりましたが、現在は原則月・水・金曜日(たまに日曜日)。体験記やイベントレポート、マニアな趣味の話などは基本的にこちらに掲載する予定です。お気軽に遊びに来てくださいね。

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