フィギュアスケートとは

これしかない。マニアックに好きなものはさまざまあるが、マニアック過ぎて誰が読むのか、ととりあえず置いておいたのでこれしかないです。

というわけで「フィギュアスケート」。

ちなみにとりあえず置いておいたのは『Hop Step あいどる☆』というセガサターンのゲームです。はい、ご存知ない方はそっとスルーで…。いや好きなマンガとかいっぱいありますけどね。ふくやまけいこさんの大ファンでして…。
うん、脱線してきてるので元に戻します←気を抜くとすぐ脱線する


2002年の2月。ソルトレイクシティーオリンピックを何気なく見ていた私の目に飛び込んできた、ある選手の演技。その演技は私の日常を一変させた。知ってはいたけれど、深く踏み込むことのなかった世界の扉が、突然勢いよく開かれたあの瞬間。あの日のことは生涯忘れないだろう。

その選手の名はアレクセイ・ヤグディン。ソルトレイクシティーオリンピックの男子シングルを制したのは彼だった。後にビデオテープが擦り切れるまで繰り返し見た彼のプログラム『Winter』が、すべての始まりだった。

ヤグディンの突然の引退に立ち直れなくなるほど落ち込んで、必死でやっていた雑誌の収集や新聞のスクラップを一時的にやめてしまったり、紆余曲折はありながらも、NHK杯や世界選手権の時期になればテレビの前にかじりつく。けれど会場まで足を運ぶ勇気のなかなか出なかった私にとって大きな転機となったのが、2010年の春に大阪で行われた「ダイヤモンド・アイス」というショーだった。浅田真央、高橋大輔、町田樹、羽生結弦…。そうそうたる面々が出演していた、今思い返せばとても豪華なショーだった。
友人たちと見たそのショーで感じた、生で見ることの迫力、臨場感。この目で、この耳で、この肌で感じるからこそのフィギュアスケートの魅力に、あの時どうしようもなく気付いてしまったのである。

それ以来、何かに取り憑かれるかのように、全国の会場に足を運んだ。安月給をどうにかやりくりし、ひとつでもこぼすまい、とこの目に焼き付けた。旅に出る楽しみも同時に知った。そして、そうやって見聞きしたものを、言葉として残していくことに生き甲斐を感じるようになった。私がはてなブログで2年間毎日更新してきたブログの中心は、2010年から書き綴ってきたフィギュアスケートの旅日記だ。
テレビ鑑賞への姿勢も変わった。特に応援している選手はいつもいたけれど、どの選手のことも応援したくなった。彼らが人生を懸けているフィギュアスケートという競技を、競技そのものをもっと楽しんで見たいと思うようになった。もちろん、できる範囲でだけれども。

ゴールデンタイムにこれだけフィギュアスケートの大会が放送されるようになるなど、私がこの競技を見始めた頃には想像もできなかった。だから、私がいちいち語らなくても、好きな人はきっとたくさんいるのだろう、と思うけれど、それでもやっぱり語りたい。どれだけ語ってもまだまだ語りたくなる。私は熱しにくく冷めにくく、一度ハマるといつまでも好きでいるタイプではあるけれど、正直ここまでハマるとは思っていなかった。

是非、一度会場に足を運んでいただきたい、テレビ観戦も楽しんでいただきたい、できればご一緒に熱く語れたら嬉しい、などと思っているけれど、ひとつだけ、これだけはクリアにしておきたいと思っていることがある。

フィギュアスケートのファンには「怖い」人が多い。本当はそれほど多くなくて普通のファンばかりのはずなのだけど、声の大きな人はとにかく目立つのである。どこの世界だってある話だとは思うけれど、視野が狭いファンがとにかく多いと感じる。まるで子を守ろうとする母親のごとく、自分の贔屓さえ幸せならばほかの何を傷付けても構わない、とでも言い出しそうな。
本当はそういった意見を鵜呑みにしないことがいちばんなのだけど、深く考えずに染まっていく人も、反対にそういったファンが恐ろしくてファンだと名乗れず口ごもってしまう人もたくさんいる。できればどちらの道も辿らずに、この競技が好きだ、と明るく言える世界であって欲しいのである。私もファンの目が怖くて、長年ブログの開始を躊躇っていた。私のような思いはして欲しくない。
何よりも、贔屓を愛していると思い込むあまりに贔屓の存在を脅かすかもしれない誰かを敵視し、悪意を垂れ流すたびに、その愛してやまない贔屓への評価が下がり続けることにいい加減気付いてもらいたいのである。同じことが延々と繰り返されていて、うんざりを通り越して無になりそうだ。愛しているつもりで、本当はその選手のことなんかまったく信じていない、信じられなくて不安だからくだらない考えに取りつかれる。それをファンと呼んでもいいのだろうか?
演技にはやっぱり好みがある。好みでないからと言って嫌いになることはまずないが、嫌いになりそうになることはある。そのきっかけはすべてファンだった。ファンと本人は何ひとつ関係がないのに、あまりに強烈な悪意はそこに侵食してくる。彼らはあなたのために滑っているわけではないのだ。贔屓のファンを減らしてそれで満足か?独り占めしようとしないでくれ。したいなら家でひとりで騒いでてくれ。

本当はこんなことには触れずに、楽しい面だけを布教したいのだけれど、遅かれ早かれ必ずぶつかる問題だから、やはり書いておく。こんなくだらないことでスケートを見る楽しさを損ないたくないからこそ、この悪意の繰り返しに加わって欲しくないのである。心からそう思う。何より、それは真剣に競技に向き合っている選手や関係者に失礼だ。

そんなファンが増えてしまうのは、それだけフィギュアスケートに「物語」があるからだろう。音楽と、踊りと、スケート靴から生み出される技術の数々と。この競技はスポーツでもあり、一種の芸術でもある。その捉え方は人によって千差万別であり、背景に見える選手の人生や関係者たちの想いが、時に演技を通してダイレクトに伝わってくる、非常に感情を揺さぶる競技でもある。美しさに「絶対」がないように、この競技はその人だけの価値観に基づいて見てしまうスポーツなのだ。そこに正解は存在しない。だからこその意見の相違やさまざまな思い込みも生まれてきて、それがつまらないいさかいに発展することも多々あるけれど、だからこその、自分の心の琴線に大きく触れた時の感激も、また非常に大きなスポーツなのではないだろうか。

もうすぐ、シニアのグランプリシリーズが始まる。16年前のあの日、ヤグディンの演技に衝撃を受けて今の私があるように、何気なく見ていた誰かの演技が、あなたの人生を変えるかもしれない。フィギュアスケートには、そんな魂を揺さぶる演技との出会いが時としてある。あなたにも、そんな忘れられないプログラムに、選手に、出会ってもらえたらいいな、そんな風に思っている。

この記事が参加している募集

気に入っていただけたなら、それだけで嬉しいです!